ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6499,6500,つれづれに哲学 ~「1人称の死」と「2人称の死」の関係性
6499、つれづれに哲学 〜「1人称の死」と「2人称の死」の関係性

   * 「死」を通して家族の絆を考えてみる
 ギリシャ時代から『死』の問題が哲学されてきた。そして、その問題が目前
に現実問題として近づいてきた。【死】からみれば全てがカスリ傷でしかない。
だから直視して【生】を考えなければならない。死について、ギリシャの哲学者
エピクロス(B.C.3−4) の「快楽主義者」を思いたつ。「…われわれが現在する
ときには死は現在せず、死が現在する時にはわれわれは存在しないから。」と。
 それを人称を使ったのがジャンケレヴィッチである。
   〜ネット検索による内容とは〜
≪ 死の問題を考えるとき、フランスの哲学者であるジャンケレヴィッチの
 「死の人称」がよく引用されます。
ジャンケレヴィッチは、死を文法範疇の人称を使って三つに区分しました。
・「1人称の死」は(私)自分の死、
・「2人称の死」は(あなた)近親者の死、そして
・「3人称の死」は(それ以外)他人の死です。
日々、マスコミで信じられないような凶悪な殺人事件や海外でのテロ事件
などが報道されますが、これは私たちに直接関係のない「3人称の死」です。
  ♦ 1人称の死と2人称の死を、著書「死」の中で次のように述べる。
「父あるいは母の死は、ほとんど われわれの死であり ある意味では実際に
われわれ自身の死だ」(仲沢紀雄訳「死」 みみず書房)。すなわち、
「1人称の死」は自分の存在にかかわる悲劇的な出来事です。しかし、
「2人称の死」=最愛の人の死、これも「1人称の死」=自分自身の死と
同じくらいに私たちに大きな影響を与える重要な出来事なのです。
そして1人称の死と2人称の死は、重なり合っているのです。
  ♦ 2人称の死は、過去、現在、未来を失うこと
アメリカのユダヤ教の聖職者であるグロルマンも「2人称の死」の重要性を
次のように述べています。
「愛児を失うと、親は人生の希望を奪われる/配偶者が亡くなると、
 ともに生きていくべき現在を失う/親が亡くなると、人は過去を失う」
     (日野原重明・松田敬一訳「愛する人を亡くした時」春秋社)。
2人称である親、配偶者、愛児を失うことは、1人称の自分自身にとっても
人生の過去、現在、未来を失うのと同じだと言うのです。
 ♦ 儒教は生命の連続を説く
西洋思想に対して、東洋思想を見てみましょう。中国おける儒教の経典「礼記」
では、『身は父母の遺体なり』(加地伸行「沈黙の宗教 儒教」筑摩書房)と
述べられています。「遺体」という言葉は、「死体」という意味ではありません。
親が遺した体、すなわち私たち自身の体を遺体と言うのです。
ですから儒教は、親から子どもへと『生命の連続』を説いているわけです。
  ♦ 「1・5人称」の関係性が大切です
避けられない死という現実を通して、1人称(私)と2人称(あなた)との
関係性やコミュニケーションが大切です。人間という言葉が「人の間」と書く
ように1人称(私)と2人称(あなた)との間「1・5人称」の関係性が大切
ではないのでしょうか。そして「1・5人称」の関係性の根底には、「2人称」
(あなた=親)の「死」あとに「1人称」(私=子ども)の「生」があると
いう世代を超えた生命の連続があるのです。
親は、自分の「死」を意識することによって、子どもの将来を考える。
子どもは、親の「死」を意識することによって親に対する感謝の気持ちが
もてるのでしょう。 ≫

▼ 池田晶子が【死】について、女・青少年向けに噛み砕いた大元が、これ。
 エピクロスの<一人称の【死】は、存在しない>から、二人称、三人称に
発展させて、「1・5人称」として「親子の関係性の重要さを説いた。そこに、
連れ子の問題や、少子化や、母子家族の濃厚な関係性も出てくる。日本の10年先
を予測するに、ベルギー、ポルトガルの7割近い離婚率の問題がある。我々が
多く直面している家族の問題。これも当たり外れは、神のみぞ知る。今では、

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12月30日(日)
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