ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6490,つれづれに哲学 〜トロッコ問題
   * 二重結果論
 出産時に、母親の病で死産か、母親の生命か二者択一を迫られるケース。
当人の希望で子供を選ぶ選択もあるが、ほぼ母親の生命を選ぶことになるが、
そこには母体のためとはいえ、一つの生命を犠牲にしたなどの問題が残る。
半世紀ほど前に、この問題の問いかけを、ある哲学者が『トロッコ問題』と
して提議、現在に至っている。二重結果論である。

≪ ♦ トロッコ問題
 ある人を助けるために、他人を犠牲にするのは許されるのか?
という思考実験がある。哲学問題である。
< 線路を走っているトロッコが制御不能に。このままでは、線路上で作業中の5人
 がトロッコに轢き殺されてしまう。そしてあなたは、線路の分岐器の近くにいる。
トロッコの進路を切り替えれば5人は助かるが、切り替えた先にも1人の作業員が。
5人を助けるために、1人を犠牲にしていいのか?  それとも運命としてそのまま
見過ごすべきなのか。> 
  これを様々な視点から、深堀をしていく。
・道徳神学にまで遡る、トマス・アクィナスが挙げられる。
 彼によれば、〔攻撃者から自分を守るために、自己の生命の保全を意図して、
それに必要とされる以上の力を行使しないなら、攻撃者の死という結果を引き
起こしたとしても正当だとされる。つまり、自己の生命の保全と攻撃者の死と
いう二つの結果をもつようなことができる〕と主張しました。
・ベンサムもそれに関わります。手段が行為者が選んだ目的と関係するやり方と、
 二次的な結果の二つがあるが、二次的結果は間接的に意図するだけだという
ことにすぎないと。ご存知かもしれませんが、この二重結果説は応用倫理学でも、
時折、取り上げられます。医師が母親の生命を守るためには、胎児を犠牲にする
しかない場合、あるいは、その反対であっても、どちらかを犠牲にせざるを得な
いときに、医師は、二重結果説を持ち出さない限り、何をしても生命を殺害した
という責任を負わなくなければいけなくなりますから。≫

▼ この問題で、まず考えたのが、自分の人生。20歳時の授業で、夏休みの宿題
〔将来設計図の構築〕。 これを一夏で? 初めて将来のことを真剣に考える
ことになった。考え抜いた結論が、幼児の頃から見ていた両親の姿。ところが、
大家族の末っ子で甘やかされ、育ったこともあり、創業には最も向いてない?
無理に無理を重ね、精神破綻を、一日に二時間の読書習慣と、早朝の散歩や、
旅行などでストレス解消で何とか防いで、リタイアまで辿り着いた。そこには、
何かしら、出だしの選択が間違っていたのでは?という課題が突きつけられる。
 会社整理の問題も、然り。 残された人生で、自分の人生を肯定するか、
否定をするかの自己問答に直面する。これは、私だけの問題ではなく、万人の
問題でもある。ネット上に、同じ場面をオモチャにして幼児に差し出す動画が
あった。何と左側の一人の人形を、5人の人形に持ってきて、轢かせたのである。
「皆んなまとめてやっちまえ!」である。 人生の中で、私たちは、似たような
ことをしてきたのでは? と誰もが考える?はず。 まず数で一人の犠牲を
選択する。 ところが、この判断は、神の領域で、間違い。 神に祈って、
後は、神の御心のまま。手を下すべきでないが、識者の大勢のようだ。人生を
考えると、目先の数より、自然体で、ことを臨むのが正しいことは、自明。
しかし、その一人を、自分の意思に例えると、判断は、倫理の問題に触れる
ことが多くなる。 で、この問題の回答は見て見ぬふりになるが、何か、自己
嫌悪の問題になりそうである…? 植木等の『すーだら節』…だよ人生は、
「てなこと言われて、その気になって!」だから面白いのである。 
何とことはない。いずれにせよ、死んで3日も経てば、灰さよなら 。
虚空の彼方。あるのは「今、ここ、わたし」のみ。 

・・・・・                          
3556, 閑話小題  ―つれづれに                                   
2010年12月20日(月)

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