ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6447,つれづれに哲学 〜アドラーから学ぶ
              
                「生きづらさからの脱却」岸見一郎著
    * 今でもバカやってんだ!
  人生を10年スパンで振返りってみて、
・10歳までは明るい性格だったが、
・小5の頃からの十代は母親が重度の欝病と、直ぐ上の兄や同級生からの虐めや、
 受験勉強もあって、アドラーのいう‘嘆きの谷’暗い10年間に迷い込んでいた。
・20代の‘嘆きの谷’から外に向け一歩踏み出せたキッカケは、20歳の夏休みの
「キリスト教倫理」の教授の夏休みの課題、【人生設計のレポートの提出】。
 まだ学生時代に馴染めず茫洋としていた私に、『将来設計、どうで生きる?』
 と、ナイフの切っ先を喉に突きつけられたようであった。 
その夏、学生寮のOBが夫婦でペアレント(管理人)をしている軽井沢の山荘で、
若い宿泊者や、ヘルパー仲間と夕食後に談笑し、様々な立ち位置や、生活環境を
話したり、聞きながら、ひと夏、自分の人生の方向を考えてみた。 いまから
考えると、最善の環境に引き付けられていた。様々な生き様が、学生仲間だけで
なく、一般社会の人たちの生の具体例の全てがヒントになっていた。
そこで得たのは、「自由に生きる!」「アイデンティティ(何もの?)」の問い。
 自由の第一歩が、「親からの自由」「血筋があればこそ、その人が存在する」。
都会生活に疲れ、癒しを求めてくる人の最初の質問は、『学生?社会人?』
『で、何処の学校、会社?』『どこの生まれで、実家は何している?』『趣味って
何?、クラブは何処に入ってるの?』が柱で、8割のレントゲン写真が出来上がる。
そこで、合せ鏡で自分の将来設計を考えた。あまりに丁度良いオープンハウスの
ような寮生活の上に、今度は、その垣根を超えた山荘で、様々な人種、それも
自由闊達な明るい未来を信じて笑っている人達。20歳は、孵化しようとする時節。
高度成長期の真只中、明るい未来が広がっていた。せっかく頂いた恵まれた立場
を活かすには、皮肉なことに両親の創業を間近で体験した修羅場の追体験の設計。
「創業を目指す」の柱が思い浮んだ。 その時、暗い神経質な性格の‘嘆きの谷’
から次の谷に踏み出した一歩であった。それぞれ人生の修羅場の時節でもある。
 その頃、母親に訪ねた、『どうして、こんなにしてまで働くの?』に、
『10人の家族が生きるに、人の何倍か稼ぐ必要があっただけ。それと、仕事の
拡大と同時に、人は成長するのよ!』 成るほどと実感した。
 家の事情で、急遽、Uターンで帰ってきた時に心に決めたのは、「嘆きの谷」
の人のこと。(当時は、この簡明な言葉を知らなかった) せっかく落とした、
重荷を、そのまま背負った、不吉な神に憑りつかれた悲観的過ぎる人たち。
他者の噂話、失敗に異常に反応し、その攻撃で無為の人生の鬱憤を晴らす。
 温暖化の影響もあり、以前ほどの積雪はないが、それでも一年の4分の1は
雪に閉ざされる。そのハンデを理由に何もしない不運を嘆く。その鬱憤たるや… 
問題は、鬱憤を他者に振り向け互いにヘドロに陥ってしまう悪循環に嵌りこむ人。 
 峠道には、‘嘆きの谷’だけでなく、‘喜びの池’もある。そこは森に覆い
隠された奥にあるため、一見、目立たない。それも、森に立ち入らない人には、
その存在に気づかない。隠れた池の近くに、「嘆きの谷」の道とは全く違う
ルートが存在する。その翌年、その道に初めて立入ってみた。 そこは
光り輝く別世界。それを哲学的に説いたのが、アドラー。
‘嘆きの谷’の患者治療から、心理学を発展させたのが、フロイド、ユング。 
聞くところによると、そこにも抜け道があるそうな。ただし煉獄か地獄への小道。 
時に天国? それも、これも娑婆世界。 踊るか、踊らないか? 決めるのは、
おのれ独り。

・・・・・・
2016/12/04
つれづれに哲学 〜嘆きの谷
               「生きづらさからの脱却」岸見一郎著
   * アドラーの「嘆きの谷」
 私がみるに、悲観的傾向が強い人が、女性で3人に1人、男性が4人に1人

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