ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6391,閑話小題 〜「逃げる」ことも前向きである
   * 「逃げる」ことも前向き!
 なかなか含蓄のある言葉。(特に私には) 今でいう、「断捨離」。
「節目をつくる」を他の言葉に切替えると、「積極的に逃げる」こと。
前もって組込んであるシェルターがあれば、「予定挫折」になる。自分を
追いつめ、崖っぷちで開き直り立向かうこともあれば、危いと思ったら、
逃げることも時に必要である。何かを得ようとしたら、何かを捨てることも
必要。本格的情報化の時代の中、「挑戦」「戦い」「変化」が必要になる。
 
 人生の基本は『孤独』。私たちは、宇宙に浮かぶ微細な一点でしかない。
自分の人生は自分でしか守れない。 そのためには、孤立し、孤独に徹して、
新たな挑戦をし、戦い、変化し続けるしかない。ただ難しいのが逃げ方。
「事前の一策は事後の百策に勝る」の、事前の一策が必要。 人生の目標が
あればこそ、確信を持って逃げることができる。「身を捨ててこそ浮かぶ
瀬もあれ」とは、捨て身になってはじめて活路を見出し、事を成し遂げる
ことができるということ。
 
 負け戦で有名なのが、家康の「三方ヶ原の戦い」。ここで武田信玄に手痛い
敗戦をした家康は、浜松城へと逃げ帰った。 その時、騎乗で脱糞していた。
その際に描かせたというのが、通称「徳川家康三方ヶ原戦役画像」。  
結局は死ぬ身。「逃げたって」「攻めたって」所詮は同じ。逃げてこそ、
次の挑戦の機会が出来ようというもの。 何が悪いかというと、
逃げる準備がないこと! 常に頭に最悪に対する絵図があるか? 
 
 逆も言える、「頭に最善の絵図」を持っているか?
私の最善の絵図の一つが、旅先での感動、至高体験。それが無くて、何が人生。 
至福体験、至高体験の蓄積が強力な磁石となり、そこに引き寄せられる!

・・・・・・
6025,明るく死ぬために ー2、ほどほどの人生で良いのか
2017年09月12日(火)
             ―「明るく死ぬための哲学」中島義道著―
   * 人生、ほどほど上手くいって死んではならない
・「人生、ほどほど上手くいっていた私が何故に?」 6年前の会社清算。
そこに至る直前の3ヶ月前までは、心の底では、思いもしなかったが、現実は
過酷である。 その答えは簡単、「事業を始めたから。一点集中に拘ったため。
バブルの波に乗り膨張、破裂しただけのこと。」 振りかえ見れば、丁度よい
引き時ということか。
・1990年のバブル崩壊は日本にとっての歴史的節目。応仁の乱、戦国時代、
明治維新、太平洋戦争の敗戦と匹敵する事態。 その上、21世紀初っ端の
9・11テロが文明の相剋(ユダヤ・キリストとイスラム教徒の争い)の号砲。
現在の中東の動乱で数百万人が欧州に難民として流出。ISによるテロが、
あいも変わらず続いている。同時に、数百年、数千年単位の、世界的大震災の
幕開けが重なっている。
・長岡空襲の廃墟の中、敗戦の5ヶ月後の1946年1月に生を受け、奇跡的経済
成長の環境下、「人生、ほどほど上手くいっていた」が、思いもよらない
「9・11テロ」・「リーマンショック」・「東北大震災」のブラックスワンの
到来。で、事業清算。 これらは、私にとって、陰陽の解釈が可能。
それは、「人生、ほどほど上手くいって死んではならない」というサイン?
せっかく頂いた80年の人生。 地球自らが創造した大自然の景観に数多く
触れることも重要だろうが、人類が知り得た真理を掘下げることも必要である。
・<「ほどほど上手くいく人生」は、寝転がってでも得ることが可能。
私たちは、いや私は、この「ほどほど上手くいった人生の虚構」を追い求めて
いたのでは。だから振返ると、全てが可笑しく、馬鹿しい姿が垣間見えてくる。
「人生、ほどほど上手くいって死んではならない」ということは、
「幸福を第一に求めてはならない、真実が第一で、幸福は第二にすべし」
ということ。哲学者なら当然のことだが、一般人は? 幸福第一ですか。
 たとえ話で、「地球散策の帰路の宇宙船内の回顧で、何と想うか」だ。
自己欺瞞がないではないが…

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09月12日(水)
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