ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6302,閑話小題 〜牧野の殿様、3万石の世界
  
    * 図書館開設100周年 
 この日曜日の選挙の帰りの道すがら、中央図書館に立寄ると、図書館前と、2f
で、幾つかのイベントが…。野本互尊が私財を投じた図書館(互尊文庫)の開設
100周年記念の催事。何気なく、2Fの『江戸時代の長岡』の書画が展示してある
会場に入ってみたが、当時の殿様の作品が数多く並んでいた。もう見る機会も
ないだろうと、1時間ほど見てきた… 城下町に歴史あり、なかなか趣があった。
大手通り、城下町、殿町、台町と現在も当時の町名が残っているが、その具体的な
街が拡大された鳥瞰図が生々しく当時を偲ばせていた。
 大座敷に数多い家臣が頭を下げる前に、殿様らしき人物の絵。そして、何人かの
牧野の殿様の姿絵が、遠い江戸時代を「現代」に蘇らせる。確かに長岡藩3万石
の城下町が過ってあったことが、家臣の日記的記録などで生々しく鈍よりと浮び
上っていた。 まだ何処かで、きっと戊申戦争が続いている? 
 ところで、河井継之助は今でも評判が悪いという。当然、長岡藩氏は逆賊と
して虐殺。
 ネット検索で、河井継之助が残した言葉を綴る。
 ――
◆天下になくては成らぬ人になるか、有ってはならぬ人となれ、沈香もたけ屁も
 こけ。牛羊となって人の血や肉に化してしまうか、豺狼となって人間の血や肉
 をくらいつくすかどちらかとなれ。
◆人間というものは、棺桶の中に入れられて、上から蓋をされ、釘を打たれ、
 土の中へ埋められて、それからの心でなければ何の役にも立たぬ。
◆人というものが世にあるうち、もっとも大切なのは出処進退の四字でございます。
 そのうち進むと出づるは人の助けを要さねばならないが、処ると退くは、人の
 力を かりずともよく、自分でできるもの。拙者が今大役を断ったのは退いて
 野におる、ということで自ら決すべきことでござる。天地に恥ずるところなし。
▼人間万事、いざ行動しようとすれば、この種の矛盾が群がるように前後左右に
 取り囲んでくる。大は天下のことから、小は嫁姑のことに至るまですべて矛盾
 に満ちている。この矛盾に、即決対処できる人間になるのが、俺の学問の道だ。
◆何でもよい、一つ上手であればよいものだ。 煙草延しでも、上手でだければ
 名人といわれる。これからは何か一つ覚えて居らねばならぬ。
◆一年も居馴れてしまえば、ちょうど冬の寝床のように自分の体温のぬくもりが
 江戸という寝床に伝わってしまう。 そうなれば住みやすくはあるが、物を
 考えなくなる。 寝床は冷ややかなほうがいい。
◆不遇を憤るような、その程度の未熟さでは、とうてい人物とはいえぬ。


▼ 時の伝聞の、それは生々しく現在でも聞くに堪えない話が多々ある。

 「八十里 こし抜け武士の 越す峠」 は、生々しい。
司馬遼太郎の数ある名作の中で『峠』の名作で世に知られるようになった人物。
中途半端の彼の態度が多くの藩士を死なせたのは万死に値することも事実。
家族は、居た堪れなくなって、地元から姿を消したとも聞く。 
 戊申の役、長岡空襲と、戦争に巻き込まれ、焼かれた苦い経験の傷跡が、
今でも、間違いなく残っている。まあ、縛られるは仕方がないことか?
この城下町、重い何かを直感するから、アウトサイダーでしか、私は生きられない。
 
・・・・・・
5205,個々にとっての人生は、永遠である!
2015年06月15日(月)
      『人はなぜ、同じ過ちを繰り返すのか』堤未果:佐治晴夫対談
  * 自分は自然の一部分である
<生まれる前の記憶がなく、一人称(自分)の死をみることが出来なければ、
その人にとっての人生は最初も、最後もない「永遠」ということかも知れない>
といいうことは、各自の人生は、永遠の時空の中の一点の光ということになる。
それからして、「自分とは、自然の中の一部分」が、論理的に納得される。
≪ 佐治: メリカのネイティブの考えている神はキリスト教徒とは違って、
 神道というか、わたしたちの感覚に近いです。彼らは、人が死ぬということを

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06月15日(金)
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