ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6096,閑話小題 〜象と象使い
        <『しあわせ仮説』ージョナサン・ハイト著>
   * 酔払いモンゴル人の顛末を解剖すると…
 マスコミの餌食になっている、‘酔払いモンゴル人の顛末’、先日、
借りてきた本の「象(感情)と、象使い(理性)の喩え」を思い出した。
外国に出稼ぎにきたモンゴル人、出かけ先の神事を建前にした格闘家が、
同国人の飲み会で、象使いと象そのものが酩酊した結果の暴力沙汰。傍から
すれば、暴力沙汰だが、本人たちには、殴り、叩き合うのが仕事。悪いこと
に、改革を気どった、元・アイドル系横綱の親方が、巡業部長の立場を忘れて、
警察に告訴。国際的暴力沙汰として報じられる始末。さて、落としどころは?
 〜ネット検索による解説より〜
≪・ハイトは、人間の欲求や感情の強さと、それをコントロールするはずの意志
 や理性の弱さを、「象(欲求・感情)の背中に乗った象使い(意志・理性)」
と表現する。自分自身の行動について、理性にもある程度はコントロールする力が
あるが、主導権は感情に握られている。「私は手綱を握り、あっちへ引っ張ったり、
こっちへ引っ張ったりして、象に回れ、止まれ、進めなどと命令することが出来る。
象に指令することはできるが、それは象が自分自身の欲望を持たない時だけだ。
象が本当に何かしたいと思ったら、私はもはや彼にかなわない。」
 仏陀・プラトン・フロイトは、感情を動物(野生の象や馬車)にたとえて、
理性の役割は感情を制御し運転することだとしたが、20世紀以前の人物である
彼らは数多くの家畜動物に囲まれて生きており、自分よりも大きな生物に自分の
意思を伝える苦労を理解していたはずである。象と象使いのメタファーには、
意志の力によって感情を制御することは難しい(ほとんど不可能)という意味と、
感情は意志からは自律しており意志よりも優れた判断をすることが多い、という
意味が含まれている。(p.9-14)
・ハイトは、プラトンよりも、「理性は情緒の奴隷にすぎず、そうあるべきで
あり、情緒に奉仕し、服従する以外の役目を望むことはけっしてできない」と
したヒュームの方が真実に近い、と考えている。(p.31)
・心の処理システムは「制御されたプロセス」(理性)と「自動化されたプロセス」
(感情)とに分けられている。 制御されたプロセスは言語を使用しながら意識の
中心舞台で働き、自動化されたプロセスは無意識的に働く。例えば、飛行機に乗ら
なければ行けない時に、何時に家を出るかを考えたり、空港までの移動手段を選択
することは、制御されたプロセスによって行なわれる。一方で、いざ家から出かけて、
空港まで車を運転していくときに行なわれる、呼吸・まばたき・ギアの操作・車間
距離をとること、他のドライバーへのしかめ面、などはいずれも意識して行なうもの
ではなく、自動化されたプロセスによって行なわれる。大半の心理プロセスは自動的
なものである。制御されたプロセスには、一度に一つのことしか考えられないという
限界があるが、自動的なプロセスは一度に多くのことをこなすことができる。
・自動化されたプロセスの歴史は長く、6億年以上前に動物が最初に脳を持った
ときから続いている。目的を見失わずに長距離を移動する鳥類や、仲間と協力して
戦う社会性を持つアリたちなど、非常に洗練された自動化プロセスが発達していた。
人間の自動化プロセスも歴史に裏打ちされたものであり、優れている。一方、
制御されたプロセスはヒト科が言語を獲得した数万年〜数百万年の歴史しか持たず、
まだまだ未完成である。安価なコンピュータでも、論理や数学やチェスなどでは、
人間よりも優れている。一方で、どれほど高価なロボットでも「森を通り抜ける」
という課題では、6歳児にも負ける。 (p.22-31)  ≫

▼ モンゴル人に番付上位を寡占されて10数年経過する。数百、数千年の間、
 肉食をしてきたモンゴル人とは体質が違い、本来、勝てないのが自然の理。
当然、貴乃花親方が、彼らを番付通り優遇する現大相撲体制に不満を持って当然。

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11月21日(火)
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