ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6002,「死ぬまでは苦しまなくちゃ」の覚悟
ー 「世間の捨て方」ひろさちや著 ―
* 死ぬまでは苦しまなくちゃ
「身内の最期の悶絶を見て、早々の安楽死を望むが、それは現象の問題と
いうことを忘れているのかも」という問いが、内から浮かび上がってきた。
悶絶の末、「もう、いいや」という諦念へのプロセスも最期の最期には…
考えさせられる。還暦、古希を過ぎた人には、その覚悟は出来ている?
≪ 森鴎外の次女の小堀杏奴が、こんなことを書いてました。
鴎外の長女莉莉と次男不律が同時に百日咳にかかったときのことです。
生後半年の次男が死んで、長女も危篤になり高熱が出て、あまりに可哀そうで
見ていられないと言って、医者は「モルヒネを打ちましょうか」と提案をし、
安楽死をさせようとした。すると、医者であった鴎外は「自分もそう思う」と
同意し、奥さんも賛成、まさに注射を打とうとする時、奥さんの御父さんが
やってきて、その場面をみて、こう怒鳴ったという。
「馬鹿もの!何をやってんだ。人間はそんなに苦しかって、死ぬまで苦しまな
ければいけないのだ」 その一言で長女の命が助かりました。
鴎外はお義父さんに完璧なまでにやられました。でも、「俺も医者として
言いたい」と思ったのでしょう。その数年後に、安楽死の問題を取扱った
『高瀬舟』を書いてます。…≫
―
▼ ハッとする問題の提示である。私は常日頃から、<駄目だとしたら、
早々に「モルヒネ」を打って安楽死をして欲しい>と家内に言っている。
子供のケースとは、前提が全く違う。しかし、「余命3ヶ月・半年」と宣言
され、死ぬまでの間、これまで生きてきたエネルギーを使って悶絶する?
のだろうが、鴎外の義父の言った「人間はどんなに苦したって、死ぬまでは
苦しまなければいけないのだ」の言葉が杖になる? 人生経験を味わい尽く
した老人なればこその言葉である。「どんなに苦しくとも生きろ」という人の
基本である。宗教心を持つ人間にとって当り前のことだが。神様に頂いた
命。苦しいときは苦しいまま生きるものだという真理を忘れて、どうしたら
楽になれるかを追求しがちなのが人間。しかし、「せっかく頂いた命を
面白おかしく生きる」のことも大事である。死んだ瞬間、元もと無かった
のと同じことになるのだから。
・・・・・・
5637, かわいい自分に旅させよ ーB
2016年08月21日(日)
<『かわいい自分には旅させよ』浅田次郎著>
* 芸術とは
ここで著者は、芸術について簡潔に述べている。ツアーの行き帰りの
主要都市(ロンドン、パリ、フィレンチェ、マドリッド)にある、美術館、
博物館で、世界的名画や美術品を見て周って、感動の蓄積が多く残っている。
それが自分を大きく変えていた。大自然の絶景の感動とは別に、美がその
まま表現された芸術作品に同化しているうち、美への感動が、魂そのものを
高めてくれることを実感した。 芸術とは、本来、そういうものである。
≪ 美しいものを美しいままに表現することが芸術。
それを「言葉」でなそうというのが文学。
さらに、それを「物語」という形式で表そうというものこそ、小説です。
理屈も何もいらない。そこに理屈を持ち込もうとしたから、芸術は退行した。
これは芸術の都に住むパリジャンの罪です。
医学が肉体の病を癒すように、芸術は心の憂いを除くためのものであると、
僕は信じています。だからこそ芸術は尊い。
芸術家がそうした本来の使命を忘れて芸術なるものを衒い始めたときから、
アニアックな、アカデミズムの一部に成り下がった。たとえば神が作り給う
た天然のように、誰がどう見ても理屈抜きに美しいものの存在を、僕らは
見失おうとしているのではないでしょうか。
自然は美しい。もちろん、その自然の中の人間の営みも、僕はそれらを
小説として表現するにあたり最も直截的な感情表現である「ユーモア」と
「ペーソス」を用います。それが小説家としての僕の方法だと思うから。
僕には夢があります。
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08月21日(月)
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