ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4764,閑話小題 ー3年前の日記より ー2
   * 昨日で、あの日から三年になった
 先日、3・11災害から3年経った、と書いた。そして10年日記帳から、
3月9日〜19日までを書き写した。今度は、会社整理の日々になる。先日に続き、2011年3月20日〜4月2日の二週間。 
(一般債権がほぼゼロもあり)自宅も、会社の事務所にも一度も抗議電話も押しかけが無かった。債権者会議も当然無く、
無事、切り抜けていた。それもあってか、計画倒産の噂が流れたが、そんなことは出来よう筈がない。
事業計画をたてる段階から、万一のリスク管理(下の数値ラインの設定と、
避難のためのシェルターを長年かけた用意)をしていた。これを計画倒産と言われれば、それまでだが・・ 
これを書き写していて、涙が出そうになったが、面白いと懐かしがっている自分もいる。
 ・3月20日(日):この連休明けから、具体的手順に入る。差し迫ってきた。モーニングショーでは、大震災を詳しく
     報じている。それもあるが、私も、ある意味、被災者である。 あとは、流れに任せるしかない!
 ・3月21日(祭日):TVで週末の東京の歌舞伎町、新橋、銀座、魚河岸など中継していたが、震災のためいずこも閑散。
     昼食は近くの‘サエゼリア’で。満席だが、被災民と思しきグループが目立った。これが現実である。
 ・3月22日(火):新潟の万代のラブラに行くが、人は閑散。昼飯はケンタッキーの鳥ハンバーガー。コンサルトの
     林氏にメール。今日、決断をしたが、この2〜3ヶ月、特に動揺をしている。この災害が、後押しをしたのは確か。
 ・3月23日(水):大矢、斎藤、弁護士と事務所で、状況について最後の話合い。17時〜18時半。
 ・3月24日(木):16時40分に弁護士と打ち合わせ。厳しいが、しかたがない!
 ・3月25日(金):弁護事務所で、弁護士と打ち合わせ。最後の決断の確認をした。
 ・3月26日(土):NTTで、携帯電話の会社から個人への切替の手続きをする。
 ・3月27日(日):NTTへ、再度、手続きをしなおしに行く。
 ・3月28日(月):整理の具体的手順に入る!身体が浮いたようで、頭はフル回転。違う人格が入り込んでいるようだ。 
 ・3月29日(火):会社には行かず、個人の整理のための手順の幾つかを踏む。久々に際どい危機感の中の自分が、いる。
 ・3月30日(水):13時より、弁護士二人に女子事務員と、現金など経理部門の引渡しを大矢と私、5人で始める。
         そして、17時に正式に弁護士の宣言で、30年以上の会社が消滅をした。 全員、起立をしてm(_ _)m。
 ・3月31日(木):9時10分より、弁護士と二人、第四、商工中金、新潟信金の順にまわる。何処も、豆鉄砲をくらった様子。
        :13時、従業員を集め、解雇の言い渡し。全員が不安そうな顔をしているのを見て、気持ちが切れ涙を流す。
         17時、車で帰路の途中、Iさんより携帯に電話。迷ったが、これも記念と、18〜20時半まで長岡駅裏の
         居酒屋で酒を飲む!Iさんも、まさかと信じられない顔。
 ・4月01日(金):13時半、弁護士と会社の事務所で打ち合わせ。15時、昨日の説明会で出席できなかった5人に説明。
        18時半〜燕のKさんと燕で酒を飲む。3人の就職先の依頼を。 21時44分で長岡に帰る。
 ・4月02日(土):県内の親戚に数人に事情の電話。 仙台の学生時代の行方不明だったO君より無事の電話。
        5分の差で助かったとか。その前に仙台の住所にハガキを出していたのが、遅れて届いたという。
 ▼ 良質もあるが、悲しいとか、惨めとかいう感傷的気分はゼロに近い。目の前の一日をひたすらこなし過ごすしていた。
  それは今も同じだが。それでも「喉ぼと過ぎれば熱さ忘れる」で、何事も2年半〜3年。陰湿の嫌がらせはないことは
 ないが、慣れてしまえ、「理解出来る範囲で見ている方々の程度の測量」で遊ぶ楽しみになる。これは実体験でないと
 分かるはずがない。その意味でも、自分観察、人間観察でベストの経験をしている。 救ったのは長期のリスク管理?
・・・・・・
2013年03月31日(日)

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03月31日(月)
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