ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[393646hit]

■4570, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー5
            「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延 (著)  
     * 万能薬としての「語り直し」
  実際に、その立場にならないと見えてこないことが殆どである。だから、上に立つものほど多くの経験を要する。
 一線から退いてみて、事業目線からみた社会と、そのバイアスから解き放されてみえてくる社会とは大違い。
 人それぞれが自分に都合の良い物語を作っている。「盗人にも三分の理」と、最初から見切ればよい。
「記憶は嘘をつく」というが、元々、記憶する以前の事象を都合良く解釈している。その記憶を変えるためには、
 語り直しをするしかない。早稲田に二部(夜間)があった学生時代に、寮の隣部屋の友人に彼女が出来た。
 ところ、急にアルバイトを始めて苦学生に変身したのである。 彼女に二部在学の言い訳のため、これも、語り直し?
  まずは ー次の箇所から
≪ 自分が親になって初めて親の苦労がわかるとか、教える立場になって初めて教える者の大変さがわかる、
 などと言われることがある。どちらも、親となり教える立場にいる私自身にとっては、心の底から納得できることだ。
つまり、その人の立ち位置によつて、同じできごとでもちがって解釈できるのである。だから、過去のどんなできごとも、
必ずちがってみることができることを、肝に銘じておくことが必要だ。その上で、ある過去のできごとについて、
その意味づけを変えるためには、そのできごとを、それまでとはちがうことばで語り直さなければならない。
 世間には「時間が癒す」という言いまわしがある。そこで、見過ごされがちなことだが、「時間が癒す」のは、
単に時間が過ぎ去るからではない。時間が過ぎ去る間に、人はそのできごとについて何度も考え、悩み、さらには
新しいことをする。このことによって、元のできごとの意味づけ、語りかたが変わるからなのだ。
 私は、くも膜下出血で倒れる二年前に、アキレス腱断裂により、ニカ月間、松葉杖の生活を送ったことがある。
どこに行くにも、何をするにも、苦労ばかりの辛い日々だった。しかし同時に、あのとき数々の苦労を重ねる中で、
障害をもつ人の気持ちが少しは実感できた。その意味で、後からは「よい経験だった」と語り直している。
もちろん、くも膜下出血の体験も同じだ。あのできごとがなければ、それ以前の私と同じように、命や人生について
深く考えることもなく、生きていただろう。そう思うことで、今となっては「あの体験こそ、自分にとってかけがえない
宝物だ」と、胸を張って語り直すことができる。 
 最後に、フランシス・マクナブという臨床心理学者のことばを引用しておこう。できれば、何度も繰り返し味わってほしい。
「記憶をつくり変えたり、それを遠ざけたりするのは無理なことである。 略)… しかし、つねに私たちは、自分の苦悩、
自分自身の内的経験、自分自身の精神の経過を処理しているわけである。それは、過去とよばれる客観体ではなく、現在と
よばれる主観的経験である。変える必要があるのは、誰か他の人間ではない。最も大きく影響されているのは、私たち自身。
記憶をぬぐい去ることはできないが、記憶の有りようを変えることは可能であることを、私たちは知っている。」 》
 ▼ 私も色いろあって、思いもよらない結果、オセロの白が、全て黒になったようなもの。そこで現在、過去の要素を元に、
 物語を語り直しを独りしてきた。これこそ、「日々是好日」から、「ヒビ、これ口実」の辻褄合わせ。その辺りの自分の
 心の浅ましさがいじましい。それも、自覚をしていれば良いが、全く自覚なしでやるのが人間。それでは、もっと大胆に
 語り直せば? ここで、既に、二年半かけて、「森からサバンナへ」のキーワードで、森の生活を語り直していた? 
・・・・・・
4195, 呪いの時代 ー12
2012年09月20日(木)                     
    * 「片づかなさ」の人間性     ー第8章 これからを生き延びる智恵
  贈り物を貰った場合、何かを返さない限り気持ちの中に、「片づかなさ」が残る。これが人間社会とサル社会との差。

[5]続きを読む

09月20日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る