ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4560・横尾 忠則の老人論 ー3
「猫背の目線」横尾 忠則 (著)
* コスプレの公開制作が面白い!
コスプレとはアニメやゲームなどの登場人物やキャラクターに扮する行為を指す。画家が、自分の描く風景の登場人物の
コスプレで公開制作とは面白い。これまで色いろな職種を経験してきたが、制服を着た当初はコスプレのような感がした。
それも数日で同化するから不思議。それは事業も同じで、無我夢中で取り組んでいるうち、その機能になってしまうもの。
人生もコスプレのように、服装も心も身体も全身仮面で時節ごと付け替えているに過ぎないのではないか。
化粧と服装も、自分が主役のTPOSに合わせたコスプレ? ギャルとか、キャバクラ嬢の見なりは、その典型・・
ーその辺りの箇所からー
《 1980年代にさしかかった頃、グラフィクデザインから画家に転向したが、当初アトリエがなかったため美術館のスペースで
絵を書く事が多かった。それもただで場所を提供してくれるところはなく、「貸してあげるが公開制作にしてくれないか」
という条件が出された。絵は本来アトリに独り籠ってかく孤独な作業なのに人前で描くということは考えてもいなかったので、
果たして描けるかどうかに頭を痛めたが、やってみると意外と抵抗もなく、むしろスイスイ描けることに我ながら驚いたものだ。
それ以来アトリエができるまであちこちの美術館で公開制作を行ってきた。人前で描くことは確かにプレッシャーになったり、
ストレスの原因を生むが慣れてしまえぱ平気である。背後の観客から、集中する僕に突き刺さってくるのがヒシヒシとわかる。
こんな想念がぼくの中でエネルギーに変換されてより創造的になることを発見した。この場合の創造というのは無私になること。
不思議なことに雑念が去来しなくなるのである。そう言う意味で座禅に近いのかもしれないが、座禅とて雑念に振り回される
場合が多い。その点、公開創作の方が「私」意識が薄れるのである。
それはは考えるということと描くということが一体化されるからだ。おまけに描くスピードが早くなり、手と心が同化して
いくのがよくわかる。だから時には一日で150号大の作品が描き上がることさえある。観客がこちらの一挙手一投足を固唾を
飲んで見ているのが体に伝わるので、思わず手を休めるのを忘れて描き続けてしまう。このことが描きてであるぼくを解放する。
公開制作の味を占めたぽくは最近また続づけるようになった。しかもコスプレによって制作する。 公面制作で描く絵は、
ぼくが近年描き続けている「Y字路」である。そこで道路で作業している現場の人たちと同じ格好で絵を描くことにした。
街でよく見かける ー幅の広いズボンにベスト着用、頭にはタオルを巻いてー とこんな風景をよく見かけるでしょう。
つまり鳶職スタイルである。他の学芸員も道路工事の関係者の役回りになってもらう。最初は観客は度肝を抜かれ、ギョッと
した顔になって、次はケラケラ笑う。それも一瞬、こちらが真剣に絵を描くものだから、あとは会場は水を打ったようになる。
よく仮面の効用というが、コスプレはまさに全身仮面になり、人格も他者になるわけだから不思議な解放感に襲われ、
その結果、実に自由な気分になるのである。そして描く行為そのものも絵と同じように作品化されてしまう。だから観客は
パフォーマンスを鑑賞することになる。制作の休憩時間に美術館のレストランにこの格好で入っていくと、まずお客は
場違いなものを目にしたわけだから、なんとも当惑した顔をする。われわれに向ける視線には明らかな拒否反応の色が見える。
「作業着のままでよく、ソフィスティケイトされた美術館のレストランに入ってくるわね」という視線を投げてくると同時に
「レストランの人たちは何もいわないのか」と。 ぽくがコスプレしていることがわからないのだけど。そんな反応をぼくは
実は楽しんでいるのである。これも仮面の効用で、普段体験できない経験にほくは悦に入っているというわけだ。》
▼ それは、自分自身にも、人間そのものにも当てはまる。 両親合作の心身を「魂らしい自分の芯」が、コスプレ?
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09月10日(火)
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