ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4420, 暴走老人! −3
「暴走老人! 」藤原 智美 (著)
* 孤立化する空間
近所をみても一人住まい老人の家が目立っている。去年には孤独死の老婆が死後発見された。二年前には、その隣の老夫婦の
奥さんが自死。独り住まいの弧族が目立って多い。そういう我家も何時、いずれ弧族になる? 近くにスーパーや、コンビ二が
あるので、不便はないのだろうが・・ スマートフォンの普及は便利な反面、人と人との係わりを最小にする。
また、年寄りは情報機器を使いこなせるかどうかで、二分される。使いこなせない人の疎外感は、より大きく膨らむ。
とはいえ、孤立した老人が不幸か?というと、これだけは当人しか分からない。大家族の中の孤立の方が不幸のケースもある。
現在、毎日、書斎に4ー5時間はパソコンか読書をしている。それを孤立とは言わない。問題は、孤立した空間で楽しめるか。
≪ かつて農漁村、都市の商店街のような場所には、仕事や土地(地域)を通じた共同性が存在した。一方、郊外住宅地に仕事を
基盤とした共同性を求めることは不可能だ。そこは仕事場とは切り離された、文字通り「ペツドタウン」である。
しかも長い時聞をかけて発展した町ではない。そのほとんどが、計画的に一気に造られたきわめて人工的な町である。
当然、造成地という白いキャンバスには、地域社会の秩序となる規範など存在しなかった。数世代、数十世代にわたって
造られていった町のように、受け渡される土地に根ざした約束事もない。郊外に暮らし始めた人々は、同質性(家族構成、年齢、
収入は似たり寄ったりである家をそなえていた。 彼ら核家族は、古い家父長制や地域共同体の縛りから自由な新しい家族像、
核家族を中心としたマイホーム主義を実践した。だがそれは一方で、地域社会の力を極端に弱める結果になった。
それぞれの核家族が均質な力をもった存在として、新たな土地で生活をスタートさせる。彼らを束ねる地域の「権威」もなく、
関係の秩序が成立していないその時点で、互いが強い主張を始める生活はきわめて不安定化する。住みにくい、ストレスな
場所になるだろう。その状況で新住人たちが選択したのは、なるだけ隣人とかかわらないことだった。互い干渉しないことで、
新興住宅地はかろうじで暮らしの場所となったのだ。(略)・・・ 鳥瞰してみると、そこにあるのは各戸に孤立して存在する
家庭群落だった。群れていても、関係しないというどこか矛盾した場所が郊外である。やがて明らかになったのは、孤立する家が
内部では個室によっでさらに分節化され、家族もまた個人として孤立しているという像だった。新興住宅地は二重に分節化され、
最後は個人に行き着く。それが「孤独な郊外」の本質。だが地域社会が衰弱、家族が孤立する構図は郊外だけにあるのでない。
都市近郊の団地からスタートした「孤独な郊外」は、都心部の集合住宅にもおよび、今では農村地帯も孤独な郊外化は進んでいる。
こうして日本中の住宅地から地域社会はしだいに姿を消していった。そして非地域社会化をいち早くスタートさせた郊外住宅地は、
現在著しい疲弊の姿をさらしている。多くは「ふるさと化」が失敗し、二代、三代と住みつづけ、新しい規範を生みだすことも
なかった。最近では大都市圏で、都心回帰がさらに郊外住宅地の疲弊を早めている。住まいから次世代が消えた老人世帯は、
家そのものが個室化した。・・・≫
▼ 平櫛田中の言葉「子供しかるな来た道じゃ、年より笑うな行く道じゃ・行く 道・来る道一人道・これから通る今日の道。
今やれねば誰がやる・わしがやらねば誰が やる」がある。これは、【「子供叱るな来た道だもの、年寄り笑うな行く道だもの、
来た道行く道二人旅、これから通る今日の道、通り直しのできぬ道」作者不詳。妙好人(=浄土宗の信徒の誰か)】を、
言い換えたものと思われる。この位の意志がなければ、生きてはいけない。そういう私も何時の間に、その年寄りの仲間入り。
年齢に気持ちが追いついていけない日々を孤立化した書斎で、過ごしている!
・・・・・・
4046, 閑話小題 ー癲癇について
2012年04月23日(月)
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04月23日(火)
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