ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[393807hit]
■4417, 閑話小題 ー昨夜は高校の同級会
* 審判のミスジャッジ
一昨日の巨人対阪神戦で、一塁審判が明らかにセーフのジャッジをアウトにした。残酷なのは、走者の足が一歩先に塁に
着いているのをビデオで何度も流していること。後で注意勧告されるのだろうが。目から火が出る思いだろう。恐らく、
ビデオで流されているのだろうと気が気でないはず。甲子園の高校野球で審判のミスジャッジを見かけるが、これも純真な
子供の心を傷つけることになる。審判もミスをするが、致し方がないと割り切るしかない。ビデオの方が人間の目より明らかに
優れている。その結果の現象だが・・・ 試合が流れているため、ミスとしても後に戻せない矛盾がある。
これと同じことが、政治にもある。誰が見てもミスジャッジの政治判断としても、変えることが出来ない。私利私欲や党略で、
正当な判断が出来なくなり方向を誤ってしまう。
* 昨夜は高校の同級会。
昨夜は高校の同級会。幹事は気をゆるして酒が飲めない役回り。 このところ二回に一度は、私と幹事相棒Mの役目。
別に好きでやっているわけでないが、大学の寮とか、会社経営をしていた頃の宴会を含めると、間接を含めて二百回以上は
仕切りをしてきた。いや、もっと多いか。まずは盛り上げに役回りに徹すること。酒を飲むのも一期一会。人生を振り返ると、
いつも、「宴会とともにあった」。 気の合う相手であれば二人でも宴会。 ネットの「日本大百科全書」によると、
≪ 酒や歌舞などを伴う高揚した心の触れ合う機会。宴(うたげ)とも饗宴ともいう。また宴会の性格によって祭宴、祝宴、
招宴、酒宴、狂宴などとよばれる。一般に宴会は季節ごとの折り目や人生の節目に行われ、忘年会や新年会が年末、年始と
いう折り目に行われる宴会とすれば、子供の誕生祝いや結婚の披露宴は、人生の節目に行われる宴会ということになろう。≫
とあった。以前は、各家ごとに料理をつくって御客を招待したり、料理屋で宴会を開いたが、今では居酒屋の大部屋で開く
ケースが多いという。 小・中学校、高校、大学の同級・同期会だけは、最優先に出席にしてきた。同級会は、魂の世界。
心の故郷が魂とすると、年々「遠き日は 年とるごとに 近くなり」というのが実感できる。結局、家に帰ったのが一時過ぎ。
・・・・・・
4043, 一時停止 ー3
2012年04月20日(金)
* 出会い ーフェルメール 1967年 「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
≪ 私がほんとうにフェルメールを見たのは、その本物を見たときである。本物を見たから、フェルメールが見たくなったのだし、
旅に出ずに複製しか見る機会がなかったら、もしかすると一生私はフェルメールに気づかなかったかもしれない。 現代の進歩した
印刷技術は、複製と本物との差をだんだんに小さなものにしてゆきつつある。複製で見ても本物で見てもそんなに変わりはないという
絵画もあるだろう。複製を見ることが、本物を見ることにつながる絵画もあるだろう。だがフェルメールはちがう。複製と本物との間に、
越えがたい断絶がある。 あたかもヴィニールの花と、野の自然の花とのように。 あるいはこう言いかえてもいいかもしれない。
本物を見ても、複製を見たのと同じ感動しかなければ、私はその絵にほんとうに感動してはいないのだと。そういう形で感動した絵は
実は私にはまことに少ないのだが。 はじめて見たフェルメールに感じた気持ちを、そのときの状態のままにことばにすりとしたら、
それは「ああきれいだなあ、ほんとになんてきれいなんだろう」ということにしかならない。 美は人を沈黙させるという。その通りである。
その沈黙の中に、無数のことばにならぬことばがひしめいているのではないかと言う人もあるが、少なくとも私の場合、そう言えば嘘になる。
沈黙はもっと深く、ことばにならぬことばなどといった不純なものはない。しんとした純正の沈黙なのである。
ことばはずっとあとになってから、やっと重い腰をあげる。その時でもことばは謙虚だ、ただいちばんふさわしいオマージュを捧げ、
絵の美しさにほんの少しでもあやかりたいと思うだけなのだ。≫
[5]続きを読む
04月20日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る