ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[393827hit]

■4408, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −6
     第五時限 「うふふ力を磨こう」  ー「隠居大学」天野祐吉、お相手 坪内捻典
   * 俳句はゲーム感覚で楽しむ
 母が50歳の頃、それまでの苦労のため重症のウツ病になり、数年かけ独り立ち上がったが、子供なりに壮絶さを垣間見た。
88歳で老衰で亡くなったが、医師の要請による解剖で心臓の四分の一が壊死していた。第二の人生の40年近くは、趣味の
世界に徹底していた。舞踊、謡い、茶道、写真、短歌、どれもこれも負けず嫌いで、ある領域まで達していた。晩年、母親に、
「一番、極めたのは何?」と訊ねたところ、短歌という。 老年の趣味といえば、短歌と俳句と川柳がある。
  ー 次の箇所は、短歌と俳句の違いを端的に示している ー
≪ 坪内:俳句的人間と短歌的人間って呼んでいるんですよ。ぼくの中では、つぶあんは俳句的人間、こしあんは短歌的人間。
 天野 どういうところが、俳句的、短歌的なんでしょう。
坪内 そうですね、まず、俳句は、自分の言いたいことを言わないんです。これは、つくるときにも意識しておくといいと
 思うんだけど、いちばん言いたいことを言わないのが、俳句がうまくなるコツですよ。よく、「わたしのこの俳句は
 こんなところがこんなにいいんです」と、自分で一生懸命説明する人がいるんだけど、そういう人はあまりうまくならない。
 自分の俳句についてしゃべらなくて、人の意見を聞いている人が、うまくなるっていうか、俳句向きだと思います。
天野 主体性のない人がいいんですね。
坪内 そうです。無責任で主体性がないんでいいんです、できるだけ(笑)。
天野 自分ってものを、強調したがるような人は……。
坪内 それはもう、あきらかに短歌の人です。短歌は最後の七七で、自分の言いたいことが言えるんですよ。
 俳句には、その七七を言わない醍醐味というのがあります。
天野 そうか。これは短歌じゃなくて狂歌ですが、「世の中に金と女は仇なり早く仇にめぐり会いたい」というのが
 ありますよね、これも、言いたいことは最後の七七ですもんね。
坪内 俳句だったら、最後の七七はいりません。    ・・・(略)
天野 言いたいこと言わないなんて、欲求不満になりませんか。
坪内 そう思うのが、こしあんの人の特色なんじゃないですか(笑)。俳句的つぶあんは、言いたいことを言う欲求より、
 自分の言葉を他人がどう読むか、っていうほうに欲求や興味がいくわけです。
天野 じゃあ俳句は、こう見て欲しい、感じて欲しい、こう解釈して欲しいっていうのは、表には出しちゃいけないんだ。
坪内 いけないってことはないけど、出さないほうが俳句らしいでしょうね。
天野 お話を聞いているうちに、「三月の甘納豆のうふふふふ」がなんだか、これまでとは違うふうに思えてぎました。
 なるほどねえ。今日、帰ったらさっそく俳句、つくってみようかな。・・・ ≫
 ▼ 「俳句は、ひとりきりで捻っていく人はうまくならない。それは自分を読者にしていまうから」に、ドキッとした。
  句会では、たいてい作者名を隠す。それで非難されて恥ずかしいと思ったら句会に入れない。恥をかくから上手くなる。
  この随想日記、だから公開しているが、あくまで自分中心。 毎日、書き続けていると、誰かの嘲笑を独り感じる。
  そこで、馬鹿丸出しを曝してよいものか?迷いが出る。しかし、人間には露悪趣味が心の隅にある。露悪とエゴと
  無知を偽善で包んでいるのが人間の本来の姿と思って開き直るしかない。私が短歌を書いたら、ほぼ狂歌だろう! 
 母の短歌より: 窓の下 逆巻く波のはげしくて わが生涯の縮図の如し:  大仕掛け 空を焦がして彩どれば 
   中天の月いろを失ふ:  若き僧 煙草の吸いがら 投げ捨てぬ 早朝のホーム 一点のしみ:  青き田の
   水に浮かべる没つ日を 絵心あらば 描かむものを: ものかなし 豆腐屋の鈴流れきて 秋の夕暮足はやに来ぬ
・・・・・・
4034, 幸福になるための五箇条
2012年04月11日(水)
                   「幸福になるためのソフト」の五項目 ー中川昌蔵

[5]続きを読む

04月11日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る