ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4404, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −4
* 第三時限 いい加減にしなさい ー「隠居大学」天野祐吉、お相手 赤瀬川原平
「遠き日は 年とるごとに 近くなり」 という句があるが、最近、特に感じているのは私だけでないだろう。
御隠居は日々この感慨を持ちながら人生を振りかえ鳥瞰し、残された一日一日を噛み締め味わう楽しみがある。
隠居生活は娑婆(雑多な日常)から隠れることであって、人生からの御隠れではない。起承転結の「転結」を
「転々」に変え、転がりながら最期を迎えること。 それもこれも、どうでもよいこと! ーその辺りを抜粋ー
≪ 天野: 力を抜いて自分をコントロールする上で、老人力は非常に重要な要素じゃないですか。
前回のゲストの外山滋比古さんは、忘れるということがいかに重要かという話をしてくれたんです。
第二の人生で定年まで、一生懸命詰め込んだような知識は、第二の人生で自由に生きるというときには
何の役にも立たない。そんなものは、思いっきりきれいに忘れてしまったほうがいい、というふうに。
赤瀬川: いらないものを捨てたら、キャパが広がりますしね。
天野: そう。頭の容積は決まっているわけだから、サラ地にして、新しい作物をつくりましょうという話をしていただいてね。
そのときにも赤瀬川さんの『老人力』のお話を思い出していたんです。老人は忘れっぽいということで世の中はいけないことの
ように思っているけれど、そうではないんだと。たとえば、若い人は失恋なんかしたら大変で、その苦しみや悲しみを忘れる
ことができなくていつまでもメソメソ悩む。でも老人は「忘却力」を身につけているから、すぐに忘れてしまうことができる。
赤瀬川: ええ、強い忘却力を持っていますね。
天野: そう、これまでマイナスイメージでしかなかった「忘れっぽさ」をそんな悪いもんじゃない、というふうに書かれていた。
あの本は、ものすごいベストセラーになったけれども、どういうつもりで買ったのでしょうね。老人はまだ社会に役に立つと
でも思ったのでしょうね。 実際は違うのに。・・・ ボケたとかモウロクしたのが、老人力がついたとかポジティブに
書かれて悪い気がしないですよね。≫
▼ 「神様(自然)は、老いの苦悩苦痛を和らげるため、忘却と鈍感さを与えて下さった」という解釈がある。老いて
今さら気ばんでも致しかたがないし、運命に従うしかない。忘却といえば、この随想日記。書き上げアップロードをした瞬間、
内容は勿論、テーマすら綺麗さっぱり忘れて、頭は翌日のテーマと内容になる。直後から次回分の書き直しを始めるからだ。
だから数時間後でも、その文に対し第三者になっている。 この最大の収穫は、過去に書いた同月同日分12年分の文章に出会う
ことである。時空を超えた自分に毎朝出会うのも良いもの。また「(自)己の分」の限界も見えてくる。それを第三者に曝す
のも自虐だが「所詮こんなもの」という諦観が出来る。「いい加減にしろ、先は短いのだから娑婆気を減らせ」ということ。
・・・・・・
4030, 一時停止 ー谷川俊太郎ー自選散文
2012年04月07日(土)
「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
図書館で借りてきたが、直ぐにアマゾンで購入した。谷川俊太郎の詩集や特集の雑誌を何冊か、読んできた。
その散文集なら面白くないわけがない。谷川の詩も文章も、ストンと心に落ちて振動する。青年期に、谷川の著書を読んでいたら、
人生は変わってはず。 言葉を仕事にしている詩人の書いた文章は、分かりやすい。読み手の目線を常に意識しているためだ。
* 「青年という獣」1957年 ーより
≪・・生きているということと、生活しているということとの相違をもっともてっと早やく云えば、前者を非人間的、後者を人間的と云って
差しつかいないだろうとぼくは思う。生きるとは、コスモスの中に生きることだが、生活するとは、人間の社会の中に生きることだ。
現代ではこの違いを理解する人は少ない。下手をすると、コスモスなどという言葉は野暮な言葉で、悪くすると危険な言葉にされかねない。
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04月07日(日)
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