ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4400, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −2
              『 隠居大学ーよく遊びよく遊べ 』 天野祐吉、お相手 横尾忠則
   * 第一時限 ー猫の自由に学ぼう 横尾忠則
 横尾の『猫の自由に遊ぼう』が面白い! 気の向くまま、飼主に気兼ねすることもなく、自由気ままに時間を過ごす。
これを御隠居と二重合わせにしている。専業主婦の家庭は、亭主が犬型で、主婦が猫型に自然になっている。家内をみると、
つくづくと猫の生き方を見て取れる。亭主は会社で赤くなったり青くなったり。しかし、猫型の主婦は、給料を持ち帰って
くれれば、我関せず。 亭主は、リタイアー後も猫になりきれず、切れた首輪をつけたまま外をうろつく。 元何某の
肩書きなど何にもならない。リタイアをして新しい環境に直ぐに適応するために、長年かけた準備が必要になる。
 以下の対話は、なかなか面白い。
≪ 天野: 猫型人間とか犬型人間とかいうが、誰にでも心の中に両方を養っているじゃないかと。子供の頃は、
 だいたい猫型の方が偉そうにしているが、大人になって組織の中で働くようになると犬の方が成長していく。
横尾: 猫は、僕にとってアーティストの見本です。猫は妥協しないし、犬みたいに尾っぽを振らない。
 自分に忠実で、他人に忠実でない。アーティストは自分以外に忠実になっていけないのです。
天野: ぼくの場合ですと、二〇年前にふっと気がつい。自分の内側をのぞいてみたら犬ばかり肥大していて、
 猫は息も絶え絶えになっていった。動物虐待もいいところだなあと思って、それから犬的部分の猫に栄養を
与えるようにして。そして猫が元気を取り戻してきたら次第に「なんで真面目に働いでばかりいたんだう。
こんなことのたために生れてきたのか?」という思いがどんどん強くなってきたんですね。そして、これって、
多くの隠居候補の人に気持ちに近いと思う。世の中のルールに従うことも、あるいは働くことも大切なんだけど、
でも隠居生活を送る上では、猫の自由をもう一度学びなおす必要もあってよいんじゃないか。
それで『猫の自由に学ぼう』を隠居大学の校訓その一にしたいと思ったんです。≫
 ▼ 私の中の犬猫は、首輪をつけたままの野良犬と野良猫。一応、自由に放飼いをしていたが、何時も喧嘩ばかりで、
  札付きの嫌な奴である。どうも酒を飲むと、表立って出てくるから困ったもの。 青年期までの猫、成年期の犬、
 そして老年期に猫に戻るという説が何とも珍妙である。両者とも野生動物を人間に都合の良いよう改良されたもの。
 「犬は家につき、猫は人につく」というが、今さら男は新しい人間関係の構築は難しい。縦社会で生きてきた男達は、
 横社会には向いていない。家では嫌われ、紐のきれた首輪をしたまま街中を彷徨うか、猫を被るしかない。誰?それ!
・・・・・・
4026, 「人生の知恵」ノート
2012年04月03日(火)
  4年前に、図書館からグラシアンの「賢人の知恵」という本を借りてきて、ここで書き始めたが、一回限りで終わっていた。
少し読んで、いま一つピンとこなかったので途中で止めたようだ。ところが先日、図書館で ー本当に役立つ「人生の智恵」ノートー
というグラシアンの他の訳書を見つけて読んだ。 今回は、言葉の一言一言が納得出来た。 現役を退いたこともあるのだろう。 
グラシアンの経歴は、『雄弁な伝道師として圧倒的な名声を得るが、1657年、サラゴサでの聖書学の教授の地位を追われる。逮捕され、
追放されたタラソナという村で一年後に没した。』とある。これで、この人物の処世術が生くさすぎることが分かるが、内容は、
現在も納得するものが多い。“善人が損をするのは善良だからではなく、世間を見る目が甘いからだ。”など、伝道師にしてはシビア。
人間は、真面目に生きているわりに、次から次へと、問題が生じてくる。 何故だろうか、智恵が足りないのである。グラシアンは、
「高邁な知識だけで人生は乗り越えられない。日常生活に適応するのが重要とまではいわないが、最も必要。使えない知識より、
今日使える術こそ真の知識である。」という。 ここで人生と事業を振り返ると、多くのことが改めて見えてくる。

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04月03日(水)
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