ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4331, 自己とつきあうということ ー1
               「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
   * 自己への思考の旅
 哲学者のソクラテス、モンテーニュ、パスカルなどを取り上げながら「自己とつきあうということ」を考える書である。
アマゾンの紹介には、【 悩む人も、悩まない人にも。モンテーニュら偉大な思想家たちの思索をたどりながら、他者や世界と
繋がる自己発見への旅。そして、誰もがそこから逃れられない厄介な「自己」とのよりよい関係の構築を模索する。】とある。
 6年前に買って目を通したが、熟読はしてなかった。しかし、節目時に改めて読んでみると、思わない発見がある。
バイアスが薄れ、ゆとりを持って過去を振り返ると、前だけを見ていた時には気づかなかった自分が見えてくる。
一昨年の節目時には「自己を見つめる 」渡邊二郎 (著) を読んでいた。そこでは、「自己」「仕事」「孤独」「世間」「運命」
「不幸」など15章のテーマの人生の真髄を、傷ついた心に語りかけてくれた。そして現在、今度は古今東西の哲学者の引用で、
自己の行蔵に対し語りかけてくれる。  ー プロローグの「自己の旅」の、次の言葉が良い!ー
 《 終わりなき旅 = そこから自己への旅が始まる。その旅は、いまだ知られていない自己をめざす思考の冒険である。
 はっきりしたルートも道しるべもなければ、方向指示器もない。目的地がどこにあるか分からないし、目的地がどこか定かでない。 
その旅の途上では、われわれひとりひとりが、手さぐりで一歩一歩進まなければならない。 しかしその歩みを通じて、自己が
どのような存在であり、自己として生きることがいかなることか少しずつ見えてくるであろう。
 自己の旅は、われわれが自己の多様な側面を説き明かしていく思考の経験であり、自分との対話や反省や試みを介して自己を
掘り下げていく経験である。しかし、その経験は自己に収束して閉じてしまうものではない。それとは逆に、自己への旅は、
自己の生を可能にしている他者や、世界へとつながるものである。自己への旅には、あらかじめ定められた出発の時があるわけでも、
終わりの時があるわけでもない。それはどこに行きつくか分からない。その旅の途中で、自分が、他者が、世界が、どのように
違って見えてくるのかも分からない。それを身をもって知ること、それこそが自己への旅の醍醐味であろう。》
 ▼ 自分の立居位置で、確かに物事は違って見えてくる。特に人の滅多にない経験?後なので私の自己の旅路は複雑である。
  事業を目指すと決心してからの45年間の自分の行蔵を省みるだけで、自分を身を持って知ることになる。非力な、無知な、
  しかし理想だけは高い自分がいる。その時々に全力を出していたので、その時々の自分に後悔は一切無い。出来ない人ほど、
  辛辣に、実践するものを非難する。同じ後悔なら、実践者の方が良いことを一番知っているためだ。この経験で実感したことは、
 「人生はハッピーエンドより、後悔の無いアンハッピーエンドの方が良いのでは?」ということ。 後悔の無いアンハッピーなど
  あるのかどうかの疑問もあるが、実際に私の経験が、そうである。実際のところアンハッピーではない、といえば、その通り。
  要は、これも自分との付き合い方。どっちにしても大方はアンハッピーの悶絶の死が待っている。 この内なる旅、面白くなる。
・・・・・・
3956, 他人を責める「新型うつ」について ー2
2012年01月24日(火)
 数ヶ月前に、閑話小題で「(他人の)せい病」について書いたが、その時は、それが現代型「新型うつ」とは知らなかった。
たまたま周辺の何人かの異様な言動の「うつ病」現象が耳に入ってきた。共通点は、自分の内側に向かうのでなく、周辺に
怒りをぶつけることである。 秋葉原の大量殺人犯のは、この拡大版。 自分に自信を持てない反面、その防波堤として
プライドが異常に高いのが特徴である。 現在の日本の国そのものが「新型総うつ」であるが、怒りを国政のトップに叩きつけ
潰していく異常性は、国の末期現象といえる。自分より他人を責めるのは、情報化社会の特徴である。自分より社会に、他人に、

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01月24日(木)
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