ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4280, 閑話小題 ー随想日記のテーマの見つけ方
* 随想日記のテーマの見つけ方
11年7ヶ月、休むことなく、この随想日記を書き続けてきた。一つの張り合いになっているが問題はテーマのネタ。
これが難しい、というより思い浮かばない。TVや新聞から思いついたり、雑談で思いついたり様々である。
二週間に1〜2度、図書館で10冊を借り換える。それを机の左に積み重ねておき見つけるのが半分くらいだろうか。
自分が面白い、成るほど、と納得する内容でないと後で読み返した時、心に振動しない。その為、本探しから違ってくるが、
これが良い。 それと、たびたび自分のワダカマリをテーマにする。これは考えることになり、解消の切欠になる。
去春以来、何のワダカマリをテーマにしてきたのは、そのため。 赤裸々過ぎたが。 その時々のテーマを探すのは、
人生にとって最重要事項。 それを続けることは最上の習慣化だが、12年近く実施しているわりに教養が増した感がない。
書いたと同時に完全に忘却するためだろう。 しかし、この習慣、一度身に着けると良いことが多々ある。何か事があると、
その場でキーワードを探し文章化してしまう。3つも見つければ、完成に近い。それは、考えることそのもの。
それを後でパソコンに書き込むが、メインのキーワードをテーマに入れる。 そこで違うテーマに変更する場合がある。
毎日書いていると、その辺が何とも面白い。 プロの書き手はテーマを依頼されると、数十冊、数百冊の本を集め、
目を通すという。その過程で内容の荒筋をつくり、その後、内容の肉付けをしていく。 現在ではパソコンとネットがある。
アマゾンなどから多くの資料の入手が可能になった。4千も超えると、同じような内容を知らぬうちの繰り返し書いている。
現在のような、有り余るような時間の中では、テーマ探しは、けっこう面白いもの。それにしても、下記のテーマと文章を
読み返すと、赤裸々で、心根が、そのまま現れ出ている。 今さら、ここまでくれば、虚飾も何もないと開き直るしかない!
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3905、さらし首の独り言
2011年12月04日(日)
あの日から八ヶ月、現在置かれている立場は打首獄門の刑場のさらし台の首のようなもの。 しかし、それが面白い。
その首が目をパチクリして見物人の評価している目線と心境が、である。 それも、「その辺の世間様レベル」の目線が、
かって憶えのある自分の目線として蘇ってくる。 カント哲学の具体例とすると分かりやすい。 見物人は、それぞれ知っている
範囲の情報と知識で烙印を押し付けてくる。 それは自分のことを言っているに過ぎないことを全く自覚していない?愛らしさ。
人生の満足度が低い人ほど、自分の影としての対象として鬱憤をぶつけている。それが世間様の犠牲者、「その辺の輩」という所以。
自己卑下を他の対象に投影するに一番手っ取り早い世間話のため、その視線が、そのまま、その人となり。 他者を批難することは、
自分を更に卑下しているだけの理屈が分からない。 それが身近ほど辛辣になるから、人間観察にはもってこいになる。
元もと卑しい臭いのする人は近づけないつもりだったが、実は違っていた??。 しかし、それが人間の赤裸々の姿。
これは「自己確立の出来ているかどうか」の基準で見ると、直ぐに分かる。 この10数年、独学で哲学を学んできた?が、
自分の頭で考えること、現象の中にある事実と、その中の真実。その真実も、本当に真実なのか、それともカントの言う、
自分の経験と知識の範囲の思い込みなのか?という自問自答。 その意味では「その辺の何=自己卑下の人」も、
実は私自身が貼り付けた言葉でしかない。世の中、何も考えてないと思える人が多い。 特に老いてくると、それが露出する。
それが、この文章を書いている自分に当てはまるから、これも自己卑下。 自己卑下は、実はお互い様ということ。
人生は悲劇と喜劇は紙一重。 悲しくもあり、可笑しくもありが人生、と実感する日々この頃である。
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3540, 価値観の中心の書き換え ー2
2010年12月04日(土)
* 石井一男という画家
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12月04日(火)
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