ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4197, 呪いの時代 ー14
                          「呪いの時代」内田樹著 
  * 「リスク」と「デインジャー」の二種類の危機       ー第10章 荒ぶる神を鎮めるー
東北大震災は想定を超えた千年に一度の事故。それでも東北は地震対策を最大限していたので、最大規模の地震と津波にしては、
これでも最小の被害で済んだ。 しかい太平洋沿岸で近い将来、必ず大震災が起こるというから、大変な事態である。 
恐らく、日本経済を先導してきた東海地区も工場の移転が始まることになる。日本は、ますます疲弊することになる。
  ー以下の、「リスク」と「デインジャー」が分かりやすいー
≪ リスクレというのはコントロールしたり、ヘッジしたり、マネージしたりできる危険のこと。「デインジャー」というのは、
そういう手立てが使えない危険のことである。喩えていえば、W杯のファイナルを戦っているときに、残り時間1分で、1点の
ビハインドは「リスク」である。このリスクは監督の采配や、ファンタジックなパスによって回避できる可能性が辛うじてある。
一方、試合の最中に、ゴジラが襲ってきてスタジアムを踏みつぶすというのは「デインジャー」である。
対処法は「サッカー必勝法」のどこにも書かれていない。だが、そういう場合でも、周囲の状況を見回して「ここは危ない、
あっちへ逃げた方が安全だ」というような判断ができる人間がいる。こういう人はパニックに陥って腰を抜かす人間よりは
生き延びる確寧が高い。でも、いちばん生き延びる確率が高いのは、「今日はなんだかスタジアムに行くと厭なことが
起こりそうな気がするから行かない」と言って、予定をキャンセルして布団をかぶって寝ていた人である。9・11テロの日も、
「なんだか『厭なこと』が起こりそうな気分がした」のでビルを離れた人が何人もいた。彼らがなぜ危機を回避できたのかを
エビデンス.ベースで示すことは誰にもできない。・・・
 ・・・ 東北大震災で、助かった人は、それが単なる偶然であり、生き延びたことに『理由』を求めるのは愚かなことである」と
言うような発言をしてはならない。それは死者を二重に穢すことになるからである。私たちがもし幸運にも破局的事態を
生き延びることがあったとしたら、私たちはその都度「なぜ私は生き残ったのか」と自問しなければならない。
「他ならぬ私が生き残ったことには理由がなければ済まされない」という断定は誇大妄想でもオカルトでもなく、
人間的意味を「これから」構築するための必須条件なのである。だから、WTCをテロの直前に離れた人が「なんだか『厭なこと』が
起こりそうな気がして」というふうに事後的に自分の「異能」を発見するようになるのは当然のことなのである。そうすべきなのである。
私が生き残ったことに意味があると思わなくては、死んだ人は浮かばれないからである。誰かがそう思わなければ、被害者たちは
殺人者の恣意に全面的に屈服したことになる。そして、その断定を基礎づけるためには、自らの責任で、長い時間をかけて、ほんとうに
「デインジャーを回避する力が人間には潜在的に備わっている」ということを身を以て証明しなければならない。だが、私たちの社会は
戦後66年間あまりに安全で豊かであったせいで、危険をすべて「リスク」としてしか考察しない習慣が定着してしまった。
「デインジャー」に対処できる能力はどうすれば開発できるのかについての「まじめな議論」を私はかって聴いたことがない。≫
 ▼ 去年春の事業の帰結は、9・11テロと、9・15リーマンショックと、3・11東北大震災の「デインジャー」によるが、
「リスク」レベルの要素が無かった、とはいえない。 それでも、当初からの事業設計に万一の「デインジャー」対策を組み込んで
いたので、九死に一生を得ることができたが? 「家族経営はしない(妻子を事業に入れない)」「家内の通帳は別だて」。
「予備資金の積立」は、9・11による売上減で青くなり、始めたばかり。これを一部でも使いざるを得なくなった時は、迷わず廃業と

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09月22日(土)
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