ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4183, 呪いの時代 ー3
             「呪いの時代」内田樹著
  * 記号の過剰化      ー 第2章 「祝福」の言葉について ーより
 呪いは怒りや羨望、嫉妬などの要素が相まって内面に作りあげられた一種の記号と著者が指摘している。
しかし怒りの感情を言葉にし繰り返すうちに、その毒が己の脳を侵してしまう。鬱である。そこで医者から貰った
ハッピードラッグで目先、散らしている内はよいが、いつの間に、それが呪いの感情を更に強く苛んでいく。
呪文は記号のため、反復するうち、その人そのものになってしまい、自滅の道をひた走ることになる。
 次の箇所は、悲劇と喜劇の境い目としてみると、うなずける。
≪ なぜ、このようなニヒリズムが社会を覆うようになったのか。それについて考えてみようと思います。
 僕はそれを「記号の過剰」あるいは「過記号化」という枠組みで説明できるのではないかと思っています。
「呪い」は、その本質からして、記号的なものです。藁人形に五寸釘を打ち込む「丑の刻参 り」という古典的な呪いの
儀式がありますが、これ自体、きわめて記号的な行為です。生身の人間の心臓にではなく、代替物の藁人形に五寸釘を
打ち込むわけですから。メタファーとして行われる殺人が生身の人間の生き死にに影響を与えるという信憑が共有されて
いないとこの種の類感呪術は有効性を持ちません。つまり、藁人形が生身の人聞でないように、殺意や嫉妬、羨望や憎悪も
記号化されない限り呪いとして機能しない。忘れられやすいことですが、呪いが機能するのは、それが記号的に媒介された
抽象物だからです。具体的、個別的、一回的な呪いというようなものは存在しません。あらゆる呪いは、抽象的で、
一般的で、反復的です。それが記号的ということです。
 なまの現実が記号化されて、「情報」になるプロセスを「情報化」と呼びます。情報とは「なまもの」が加工され、
分類され、ラベリングされ、パッケージされたもののことです。「高度情報化社会」とは情報だけが行き交い、
「なまもの」に触る機会が失われた社会のことです。生きた動物が殺され、皮を剥がれ、血を抜かれれ、骨が切り離されて、
細切れになってパッケージされるという工程については誰も考えず、清潔な商品だけが売り買いされている。
 医療でも過情報化の問題は深刻なものです。当今の医師たちは、なまものとしての身体ではなく、「記号としての身体」
を診療している。『医療崩壊』の著者である小松秀樹さんが指摘されていましたが、今の診療室では、机上のパソコンの
ディスプレィに患者のカルテや検査数値が表示されます。患者が診察室に入ってくると、医師は患者を診るより先に、
まずディスプレイに表示されたさまざまの数値を見る。うっかりすると診療時間のうち、患者の顔を見ている時間よりも
ディスプレイを見ている時間の方が長いのです。 ≫
 ▼ TVのワイドショーは情報を提供するところ、情報化は「なまもの」とは違うため、それを扱う解説者は、
  記号としての言葉にして発信するするため、呪詛的な言葉になっていく。それを受け止める視聴者は、いつの間に、
  呪いとして、なまものを呪ってしまう。これが端的に出のが政治であり、政治家は手軽な呪いの対象になる。
  だから、島国日本の首相は、一年しかもたないのは、何ら不思議ではない。そして、その行き先は? 
 ・・・・・・
3818, 哲学人 ーI
2011年09月08日(木)                     
  * 精神と肉体ー 二元論       ー「哲学人」ブライアン・マギー著より 
 ー まずは二元論についてのデカルトの誤りを、ライルが指摘している部分からー
【 ライルは二元論について『心の概念』で、私たちの誤用に的を絞って書いている。ライルの攻撃対象はデカルトである。・・・
二元論の生みの親をデカルトと特定したが、実際には二元論、もしくはそれに似たものは、原始時代から人間についての通説となっていた。
常にと言っていいほど、人は自分を、肉体と、肉体に宿る非肉体的な要素から出来ているとみなしてきた。そして常に時代によって霊、魂、

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09月08日(土)
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