ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4131, 夏目漱石の「自己本位」という生き方
『定年後 ー豊かに生きるための知恵』 加藤仁著
♠ 夏目漱石の「自己本位という宝の発見!」
著者は、25年にわたり定年退職者の退職者の取材を続けてきて、ゆうに三千人を超えているという。
「はじめに」で、まず夏目漱石の47歳時の講演『私の個人主義』で、当時としては思い切った「自己本位の勧め」を取上げている。
私の場合、20歳の時点で創業を決意した時から、「自己本位」になっていた。しかし勤め人にとって、定年後が第二の人生の創業になる。
「定年後の人生こそ、自己本位であるべし」が痛いほどよく分かる。他人の思惑から遠く離れた自己本位の生き方に大きなヒントがある、
という言葉が痛いほど分かる。定年後は自己本位への第一歩から始まる。ー以下は、漱石の『私の個人主義』の中の一部を抜粋したものー
≪ *「 私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。 私はちょうど霧の中に
閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです。・・」
そのころ、明治33年、33歳の時に、文部省から突然、英語研究のためとして、英国留学を命ぜられる。そして1年が過ぎ、苦悩が
極まった時に、あることに気づきます。自分はこれまで「他人本位」だったのではないか、そして、それこそが「空虚さ」や
不安の根本原因だったのではないかということです。 (私の個人主義)
*「今まではまったく他人本位で、根のない『うきぐさ』のように、そこいらをでたらめにただよっていたから、駄目であったということに
ようやく気がついたのです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、
それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似をさすのです。(〜中略)ましてやそのころは西洋人のいうことだといえば
何でもかでも盲従して威張ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴して得意がった男がどれもこれも皆是なりと
いいたいくらいごろごろしていました。(〜中略) つまり鵜呑みといってもよし、また機械的の知識といってもよし、とうてい
わが所有とも血とも肉ともいわれない、よそよそしいものをわがもの顔にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、
またみんながそれを賞めるのです。」(同前)
ー苦しみの中から、漱石はあることに気づきます。それが「自己本位」。「自分を主体にし、個性を大切にする」ことに気づいたことで
「他人本位」が自身の根源的な問題であると気づいた漱石は、「自己本位」こそが「空虚さ」から脱出する鍵を握っていると考える。
つまり、外から無批判に「鵜呑み」で受け入れた「よそよそしい」知識や価値観を用いて生きるのではなく、丁寧に吟味し咀嚼して
「わが血や肉」と呼べるものを自分の中に養成し、それにもとづいて生きる生きかたに目覚めたわけです。
*「私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってからたいへん強くなりました。彼ら何者ぞやと気概が出ました。(〜中略)
その時、私の不安はまったく消えました。私は軽快な心をもって陰鬱なロンドンを眺めたのです。」(同前)
ー 1914年に学習院での講演で、47歳の漱石は、それまでの人生における煩悩を告白し、いかにして袋小路から抜け出したかを語っている。
「他人本位」から「自己本位」に脱し、自身の神経衰弱を克服した漱石は、次代を生きる若き聴衆に向けて、次のように熱く語りかけている。
『 ああここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたははじめて
心を安んずることができるのでしょう。(〜中略)もし途中で霧か靄(もや)のために懊悩していられるかたがあるならば、どんな
犠牲を払っても、ああここだという掘り当てる所まで行ったらよかろうと思うのです。(〜中略)だからもし私のような病気に罹った人が、
もしこの中にあるならば、どうぞ勇猛にお進みにならんことを希望してやまないのです。もしそこまで行ければ、ここに俺の尻を落ちつける
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07月17日(火)
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