ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4060, 要は、受け止め方である!
  人生、色いろ経験を積み重ねた後に過去を俯瞰すると、その行蔵はどうにでも解釈できる。 ついてなかった人生としても、
視点を変えれば、ついていた人生と脚色出来る。受止め方次第で過去も現在も、そして未来も変わってくる。 中村天風は
「全ての受け止め方を『積極一貫』にし、肯定的であれ!」と説いている。 人生は問題の山、その中心点が何か考えつくし
無心に立ち向かうしかない。 これからは、自分の人生を、どのように受け止めるかが人生の問題になってくる。
受け止め方を変えることは、行蔵の中の要素を仕分け直すことになる。それで、これからの人生の方向を変えることになる。 
 そのために記憶さえ変えるのが人間の業。 それは行蔵の要素をどのように解釈するかになる。そこでも知識の絶対量が必要になる。
分別ない人間の身勝手な解釈では、ますます歪になろうというもの。「運」があるか、ないかは、「運は自ら運ぶこと」と解釈すれば、
運そのものが意志の問題になる。運がない人は意志が弱いと解釈出来るというもの。 「人生に起こったことは無駄のものなし」と、
信じていれば、最悪のことも結果としてプラス材料になる。 そうこう考えると無知は、それだけで罪の原因になる。 
知らなかっただけで、どれほど多くの失敗を重ねてきたことか。人類も私もである。初めから自分のミッションを明文化しておけば、
それが信念になり、途中経過の失敗も成功も、受け止め方がハッキリしているので、ブレが小さく済む。 おい方一つで、荷物も
軽くなると、同じ。これからの日本は坂を転げ落ちるように衰退する。そこで何が必要か? 教育制度の再構築と、憲法改正。 無理?
 ・・・・・・・
3694, 自己を見つめる −16
2011年05月07日(土)
  * 幸福について (不幸について) ー3     「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)  
【 加えて、そうした無事安全な生活の場の確保に立脚して、更に誰もが、この世に生まれた以上、自分の生きがいがある。
・・・ 略 しかし、そのためには、人は、その自己拡充を念頭において、たえず日夜、精励しなければならないであろう。
というのも生き甲斐の達成は、いろいろな面で課題や試練や困難や障碍に出会って、これを克服する努力の連続に置き換えられてゆくから。 
格闘することなしに、人生の実りは結ばないというのが、この世の鉄則である。 実際、存分に生き抜いたという生き甲斐にみちた幸福感は、
それなりの自己集中や犠牲や断念や労苦の代償のもとでのみ、初めて獲得されるのである。 けれども、いかに精進したとしても、
非力で有限な人間には、完全な意味での幸福感はけっして与えられえないであろう。考えてみれば、生きているということは、
まだなすべきことを残しているということと同義である。なすべきことがなくなった人生は、死と同義である。生きるということは、
欠如の意識にもとづき、それを充足させるという運動と情熱において成立する。 その情熱は、充実に向けられている点では、たしかに、
憧れにみち、その実現状態を夢見ていて、幸福感に浸っているであろう。けれども、その意識が、目下は自分にその充実がいまだ
与えられておらず、また、あらゆる意味での完全な充実が人間には不可能であるという自覚に伴なわれたとき、それは、そのまま、
不幸な意識に転じるであろう。したがって、人間には、生きているかぎり、終息した絶対的安寧としての幸福感は、
与えられず、叶えられず、許されず、その意味で、人間は、終生、不幸であろう。・・・ 】
 ▼ 不幸論という本もあるほど、人間の本質は不幸である。最後は死ぬことを、二人称の死の経験をして、洗脳されているためである。
  その人によって大かれ少なかれ、不平不満や、神経質になり、我執をし、理屈を言い張る部分を持っている。それが膨張すると、
 周辺に諍いをぶつけていくことになる。それが不幸の大きな要因になる。 そうこう考えると、不幸は体質もある。
 それは血筋、家系にも関係してくる。どっちみち、一生の間には谷あり、嵐が襲ってくる。 それを乗り越えるのが、人生。

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05月07日(月)
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