ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3769, 下流の宴 ー2
昨日、7回シリーズの「下流の宴」−最終回のビデオをみた。これでシリーズの録画、3、4、6、7をみたことになる。
内容は団塊世代の現状の起承転結の転結そのもの。 遅かれ早かれ人生は、こんなものであると・・。 下流と見下された少女と、
上流?家族の母親との対比の中で、下流、上流とかいう世間体の虚実を浮かび上がらせている。 この隠れテーマは、
「総中流だった団塊世代の崩壊と現代の若者」で、上流とかいう虚妄の実態を面白可笑しく表現している。
下流と蔑まされた痛いげない少女の必死な姿を通して、人間の品格とは何かを問おうとしている。
あの夫婦の姿は多かれ少なかれ、定年をむかえている団塊世代の家庭内に見られる実情。 そこで、問われるのは、
「考える」ということ、定年までの準備の有無、そして、これまでの人生を如何に生きてきたかである。
あの家族の父親が自分、医者の娘というだけが誇りの母親が家内、そして二人の息子を、あの二人の子供に重ねると、他人事でない?
で、どうした!である。 家族には、それぞれの結末が待っている。 最後は永遠の果てに散っていくのである。
それが早いか遅いかの差でしかない。 医者を偉そうに取り扱っているが、現在の医師の8割は技術者でしかない。
そのことを当人たちは熟知している(はずである?)。何かに向かい一心不乱で努力する姿勢、それに対し全く無頓着の生様、
それぞれの人間の姿を作家の林真理子は表現したかったのだろう。蔑まされていた娘が独りで、医科大学に入って、医者の道を
歩くところで、終わっている。 それをバカバカしいと断念する方が面白いのでは?と、思った。が、これはこれで良い。
「世の中の人が総下流なら、それは中流ではないのでは?」と、常々思っていた。娑婆では下流は平均値の半分以下の収入を言うらしい。
国民年金で生活する人たちが下流?というのだろうか? 鳩山一族が上流? こうなってくると、漫談になってくる。
ところで、私が学生時代に入っていた馬小屋のような寮の住人。 その人たちの実家は玉石混合だったが、学生時代の寮生活は、
こんなものと、誰もが着るもの、食べるものに無頓着であった。 親が自営業だった?から、仕送りは実家が裕福かどうかに関わらず、
ギリギリだった。 むしろ、それを全員が楽しんでいるようだった。 誰も実家の裕福さなど問題にしてなかった。
日本という国家は、アメリカの属国だったこともあり、経済大国といわれ、アメリカに次ぐ豊かさを一時的に謳歌した。
それが、この20年間で・・・ 最後は東北大震災がトドメ。下流とは言わないが、中の下。団塊世代と同じである。
米国が国債のデフォルトを臭わせてきた・・ 500兆以上は買わされているというが・・・ 待っているのは、下流の宴か、やはり。
・・・・・・・ ーたまたま去年のテーマが、それであった。
3404, この国の終わり
2010年07月21日(水)
「この国の終わり ー日本民族怪死の謎を解く」 林 秀彦 (著)
18年間の海外生活から帰国した著者の目に映った日本は、いまにも滅亡しようとしている無惨な姿だった。
この本で三冊目になるが、時系列でいうと遡って読んでいることになる。帰国後の早い段階で書かれたためか、日本の惨状の驚きと
、怒りが新鮮である。 アメリカが60年間かけて作りあげた被植民地国家の悲惨な姿に唖然とし、そして怒りの言葉が続く。
私自身に著者が罵倒していると思いながら読むと、一言一言が胸に刺さる。日本人には、そもそも「考える」という総合的な頭脳的現象が
存在していなかった、という著者の見方が一貫している。世界は常に修羅場であり、「決闘の場」なのである。相手が選ぶ武器は、
こちらの武器でなければならない。剣には剣、銃には銃である。何より必要なのは悪だくみには悪だくみ、最低でも同等同質の武器を
持たないで生存が不可能というが・・。グローバル化、ネット社会に入ってしまった現在、これまでの島国の国民性の改造が必要になる。
ーまず、印象に残った箇所から
* 恐怖不感症もしくは不安鈍感症 −P63
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07月21日(木)
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