ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3720,ジャズについて −12
ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
* 革命か目茶苦茶か −評価が二分された「フリー・ジャズ」
■ オーネット・コールマンからジョン・コルトレーンまで ー P/203
【 一九五九年から翌年にかけ、アルトサックス奏者オーネット・コールマン(一九三〇〜?)は、『ジャズ来るべきもの』
『フリージャズ』というタイトルのアルバムを発表していくことになる。これらはジャズ・ファンのみならず、アーティストの間でさえ、
「ジャズの革命だ」「滅茶苦茶をやってるだけだ」と評価を二分した。大方のリスナーには調子はずれのちんぷんかんぷんな音楽にしか
聴こえない彼の演奏は、当然ながら大衆的な支持は得られなかった。しかし、六〇年代の"反体制気運"とあいまって、いっさいの
音楽的規則や形式にとらわれず、なんでも自由に演奏するフリー・ジャズ・スタイルを生み出す。
このフリー・ジャズ・スタイルは、コード(和音)による進行がないばかりか、小節の制約すら取り払われたものだ。
結果、メロディーやスウィング感も失われていく。 古典派からロマン派と続く中で美しいメロディーとハーモニーを奏でた
クラシックが、近代.現代に入って失われていったが、あえていえば、ジャズでも同じことが起こったといっていいだろう。
オーネット・コールマン以外では、テナーサックスのアルバート・アイラー(一九三六〜一九七〇)やアーチー・シェップ(一九三七年〜)、
ピアニストのセシル・テイラー(一九三〇〜)などが、こうしたプリー・ジャズの流れの中で語られるアーティストである。
「ジャイアント・ステップス一(五九年)、「マイ・フェバリット・シングス」(六〇)、「至上の愛」(六四)というアルバムにより、
ジャズ史上もっとも偉大なサックス奏者として、多大な影響を及ぼしたジョン・コルトレーン(一九二六〜一九六七》も忘れてはならない。
活動の初期においては、マイルスのクインテットに参加。とめどなく湧き出る鏡舌なアドリブによるソロを演じ、いらつくマイルスに
「でも止められないんだ」という言い訳をしたところ、「簡単なことさ、口から管をはずせばいい」と書われたという逸話を持つ。
そのコルトレーンも、晩年にはアイラーやシェップと共演して、フリー・ジャズ的傾向になる。】
▼ フリー・ジャズとは、どんな音調か、ネットで調べて実際に聴いてみたが、書いてあるとおり。 これまではメインの楽器の流れで、
ジャズの流れを知ることが出来たが、この辺になると、かなりの熟知をしたファンでも、その評価は分かれるのは分かる。
2ビート・4ビートとか、スイング、ビパップ、ハード・バップ、フリー・ジャズ、フュージョンとかの専門的用語が、
この本と1200曲のジャズで、少しは知ることになった。何処までマスターすることが可能か、面白そうだ。
・・・・・・・
3355, 人みな骨になるならば ー13
2010年06月02日(水)
* なぜドラマみたいでないのか
これがシビアで面白い。 自分はいうに及ばず兄姉などの人生を覗くと、決してドラマのような人生などない。
そこにあるのは夢も希望もないリアルの人生である。時にドラマみたいなのもあるが、それは喜劇か滑稽な悲劇である。
ー まずは Pー27から抜粋してみる ー
≪ 前から不思議に思っていることだが、われわれの実人生はどうしてこうもドラマみたいでないのだろう。
なぜ次々に恋愛や心ときめく出会いがないのだろう。これは容姿がいまひとつといった大多数の平均的な人にとって、
そうしたラヴ.アフェアエアは青年期にそれらしいものが二、三あれば御の字で平凡でみすぼらしいものである。
かりに大恋愛の末に大団円を迎えたにしても、そのあとに退屈な毎日がだらだら続くであろう。そのうちヒーローは歯周炎を病み、
ヒロインは亭王の前で平気で放屁をするようになる。もし現実の男女が数奇で劇的な大恋愛に陥っても、かれらの日常をずっと
カメラで追っていけば映画として最悪の作品になること必定である。洗顔歯磨きに十分もかけるし、風呂には二十分も入る。
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06月02日(木)
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