ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3703, ジャズについて −3
ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
アームストロングとバイダーベックといえば、私が学生時代の1960年代後半は現役で、ラジオやTVで見かけていた。
当時の部屋にはステレオがあり、アームストロングのレコードを何枚か持っていた。 この著書で、彼が集団即興演奏を、
ソロ中心のスタイルに変えた役割を果たしたことをしった。 当時の、あのシワガレ声は、今でも脳裏に焼きついている。
近々、近くの図書館に二人のCDを探しにいくことにした。あると思うが・・・
【 * 〔 シカゴ・スタイルの中心、アームストロングとバイダーベック 〕
ジャズといえば4ピートのリズムを刻むのが大きな特徴だが、それが確立されたのは一九二〇年代のことである。
この時代、腕の立つミュージシャンが集まったのがシカゴだった。シカゴを代表するジャズメンといえば、
当時は若きコルネット奏者としてニューオリンズからやってきたルイ・アームストロング(1901〜1971)である。
彼がジャズ史上に残した最大の功績は、それまでのジャズの集団即興演奏スタイルを、ソロ中心のスタイルに変えたことだ。
他のミュージシャンもこの時期、同じ方向を目指していたが、アームストロングの才能は圧倒的だった。
1925年には自らのバンド「ホット・ファイブ」を結成し、やがて楽器をトランペットに持ち変え、
「ウエスト・エンド・ブルース」をはじめキラ星のごとくジャズ史上に輝く名演奏を残していく。
同時に、独特のしわがれ声に深い情感をたたえたボーカルも評判となり、1926年の、「ヒービー・ジービーズ」では
軽快なスキャットボーカルを初めて披露した。30年代初めにはヨーロッパ・ツアーを敢行し、‘世界のサッチモ’となる。
第二次大戦後はビッグバンド演奏をバックに従えたエンターティナーとして、もはやジャズの枠にとらわれない活動を展開する。
もっとも、初期ジャズの優れたミュージシャンは、黒人ばかりとは限らない。 1919年、アイオワ州ダヴェンポート。
ドイツ移民の一家の次男坊が、ディキシーランド・ジャズのレコード(兄貴の除隊みやげ)に夢中になっていた。
やがて彼は、親兄弟の反対を押し切り、シカゴ周辺でコルネット奏者として身を立てることになる。
この白人男、ビックス・バイダーベック(1903〜、93、)こそ、ルイ・アームストロ・ングに負けず劣らず、
多くの後進に影響を与えた天才ジャズメンである。 これこそ、白人ジャズマンの始祖である。
ユニークなアーティストであるライ・クーダーのアルバム『ジャズ』でも、、インナ・ミスト」「きらめき」と、
彼が残こしてくれた美しい音楽を聴くことができる。・・ 】
▲ 歴史はクラシックと比べ、短いが、黒人の虐げられた歴史が背景にあるため、その奥行きは深い。
その背景を、知って聴くと聴かないとは、雲泥の差が出てくる。特に日本の戦後は、アメリカ文化に大きな影響を浮けた。
プロ野球に、ハリウッド、そして、ジャズにブルース。特に私の青春時代は、その最たるものだった。
・・・・・・・・
3338, 2011年新聞・テレビ消滅 −1
2010年05月16日(日)
「2011年新聞・テレビ消滅 」 佐々木 俊尚 (著)
プロローグからして、刺激的な内容である。
≪・・最初に言っておこう。2008年からアメリカで始った新聞業界の地滑り的な崩壊は、3年遅れの2011年、日本でも起こる。
アメリカで起こった現象は、ほぼ日本で3年遅れで起きている。 それからして来年の2011年は、テレビ業界にとって二つの
大きなターニングポイントの年である。アナログ波の停止による完全地デジ化と、情報通信法の施行だ。この二つの転回点によって、
これまでの垂直統合モデルが剥ぎ取られ、電波利権はなんの意味をもたなくなり、劇的な業界構造転換の波へとさらされることになる。
何社かは破綻し、業界編成が起こるかもしれない。もちろんそれ以降も、企業としての新聞の一部は生き残っていくだろう。
しかし、そうやっていきのびた新聞社やTV局は、もうマスメディアとはいえない別の存在になっているだろう。
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05月16日(月)
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