ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3440, 再び、死について考えてみる ー4
  * 死を喩えると
 死を喩えると、旅と、眠り、とされる。
「死ぬ」が旅と、眠り、に喩えとされることは、プラトン『ソクラテスの弁明』の一節にある。
ー「つまり死ぬということは、次の二つのうちの一なのです。あるいは全く何もない.無」といったようなもので、死んでしまえば
何も少しも感じないといったものなのか、あるいはまた言い伝えにあるように、それはたましいにとって、ここの場所から
他の場所へと、ちょうど場所をとりかえて、住居を移すようなことになるかなのです。
そしてもしそれが、何の感覚もなくなることであって、ひとが寝て、夢ひとつ見ないような場所の、眠りのごとき
ものであるとしたならば、死とは、びっくりするほどの儲けものであるということになるでしょう。・・・・また他方、
死というものが、ここから他の場所へ、旅に出るようなものであって、人が死ねば、誰でもかしこへ行くという、
あの言伝えがが本当とすると、これより大きい、どんな善いことがあるのでしょうか、裁判長諸君。」ー

 葬式で、「故人は旅立たれました」というが、夢なら醒め、旅なら帰ってくるのが前提にある。
永遠の眠りというと、そこで夢を見る可能性がある。無に帰した者が夢の見ようがない。あくまで心象風景でしかないのが、
これでわかる。 最近、ブラックホールに喩えることがある。その人の全てが、その中に吸い込まれ、再び戻ってくることはない、
という意味で、喩えとして科学的風である。 ブラックホールは生命を終えた星が爆発をして、その重圧で空間の歪が生まれ、
穴が開いて異次元?の時空に周辺のものを吸い込んでいく。これを死に喩えることは、これはこれで、説得力がある。
最近、ホワイトホールも、存在も云われるようになってきた。何処かの歪から何が噴出している空間の存在。
それは生命ということになる。 面白いのが、死の喩えを、生そのものにしている説がある。 これまでの死の喩えのは、
生のうちで経験される現象=旅、眠る、去る、失う、等々である。それらは再び我われの元に帰ってくる可能性がある。
死は絶対性であるから、「死ぬ」に永遠性が現われてくる。そうすると、永遠に眠る存在になる。 
こんなそんなで、結局、死は喩えると分かりやすそうだが、生きている人間の論理というのが露出するだけ。 
 同じ動物の牛に喩えると、先ほどの喩えは不自然である。 
 死も、生きていることも、幻想でしかないなら喩えでイメージするのも良いではないか。 少し、眠たくなってきた。
 ・・・・・・・・・
3065,ウワサを考えてみる
2009年08月26日(水)
   * オルレアンのうわさ
『オルレアンのうわさ』とは、1969年5月、フランスのオルレアンに流れた女性誘拐の噂。
 オルレアンは、パリの南方100kmほどのところの人口十数万人の地方都市。この街のブティックで、女性が消えると言う噂が
流れたのは、1969年5月。若い女性がブティックの試着室に入ると、催眠性の薬品を嗅がされたり薬物を注射されたりして、
前後不覚になったところを誘拐され、地下道から外国の売春宿に売り飛ばされていく、というもの。 
初めは1軒だけだとされていたが、最終的には6軒のブティックと靴屋が、この風聞の対象とされた。この6軒の店舗うち、
5軒までがユダヤ人経営の店で、残る1軒も、噂の少し前にユダヤ人の前店主から引きつがれた店。
『オルレアンのうわさ』の著者のモランは、この噂が、思春期の少女にありがちな、性的なものへの恐れと憧れの中から
生まれたと指摘。 初期の噂は、『神話』化し、社会問題となった後期型の噂と違い、いかにも根も葉もない世間話程度の内容。 
少女の次にこの噂に反応したのは、母親や女教師など、少女達との接点がある大人の女性と指摘する。 この反応が、それまで
女学生の間にのみ広まっていた噂話が、より多くの人に広まる契機になった。 この噂が広まるにつれ、新しい要素が付加される。
『誘拐を行なっているのはユダヤ人』という民族差別的な内容。 ユダヤ人という触媒を得たことで、オルレアンの人々に

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08月26日(木)
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