ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3165,金本位制が復活? −2
* ーそれでは、「アメリカ金本位制復活論」の高橋靖夫が文藝春秋に記載した一部を抜粋するー
1971年8月15日、ニクソン大統領は突然、金とドルの交換を停止した。世界を仰天させたこの「ニクソン・ショック」によって、
金は「通貨としての役割」を否定され、たんなる「商品としての地位」に追いやられた。 当時の通説は、「モノづくり」で
競争力を失った米国が、ドルを守り切れなくなったために「ブレストンウッズ体制を自ら放棄した。
ところがその後の米国といえば、崩壊どころかドル覇権を拡大し、冷戦終結後にはユニテラリズムを振りかざす
唯一超大国として「独り勝ち」を達成した。では、「崩壊」したかに見えたニクソン・ショックの狙いはなんだったのか。
ブレストンウッズ体制下では、アメリカは1オンス35ドルで各国政府の保有する金の交換を保証していたため、
赤字の増加は金の流出につながる。そこで米国は”負けたふり”をして「失った金の再備蓄」を密かに狙ったのだ。
米国は金とドルの交換という「責任」を放棄しながら、基軸通貨特権を享受しつつ、固定相場制から変動相場制への制度変更を
仕掛けたのだ。と同時に、金の通貨としての魅力を否定することで金相場を下落させ、失った金を安く買い戻せるように仕掛けた。
つまり金本位制を停止した時からすでに、再び金本位制に戻す機会を狙っていたのである。
むろん、そんなことは、経済白書で発表されることも、ウォールストリート・ジャーナルに書かれることもない。
しかし、米国が金を「捨てた」かのように見せつつ、決して金の価値を忘れていなかったことを記す状況証拠なら、幾らでもある。
たとえばニクソン・ショックからわずか3年後の74年12月、米国は奇妙なふたつの政策を実行した。
▲40年ぶりの「国民の金所有の自由化」
金先物市場の狙いは「ロンドンから金の価格決定権を奪う」こと、そして金所有の自由化は「民間による金の備蓄を進める」こと。
共に戦略的な「米国による金の囲い込み」である。 米国の金相場の操作は極めて巧妙だった。ヨーロッパの投機家たちを
抑え込むために、74年12月31日、国家備蓄のなかから200万オンス(約62t)の金を放出すると発表し、相場の「冷やし玉」にした。
同時に有力金融機関には「不買キャンペーン」を行わせた。その結果、金価格は74年12月31日の「国民への自由化」の197.5ドルを
ピークに、75年6月の130ドル近くまで下落を続けた。こうして米国国民は安い価格帯で金を買うことができるようになったのである。
▲76年1月の「IMF(国際通貨基金)キングストン合意」では「金廃貨」を正式決定させるとともに、最貧途上国を支援するために
IMFが保有する公的保有金の6分の1を売却すると決めさせた。これによって金価格は同8月には103ドルにまで急落している。
こうして「通貨としての金」が否定され、金相場が下げ続ける中、米国は相場をにらみながら、常に金本位制を視野に入れてきたのだ。
――
以上を読むと、金本位制に戻ると思うのは私だけではないだろう。 アメリカの背後にあるユダヤ資本が考えそうなことだ。
日本政府が金保有を異常なほど阻止してきたのは「隷属国家に金などもってのほか、稼いだ金は、自国のドルに替えておけばよい。
ポチに「金」など持つなど必要がない」という理屈である。 露骨な差別である。 そして、ドルを刷るだけ刷った後に
金本位制の新ドルに替えてしまうというのだから。今のところ可能性レベルだが、やるしかないのか?今は何でもありである。
・・・・・・・・・
2800,イングランド・ツアー ?
2008年12月04日(木)
昨日、イングランドのツアーから帰ってきた。
この世界恐慌前夜に行くべきかどうか迷ったが、少なくとも年一の海外に出る習慣は守るということで、決断した。
29名のツアーで、イングランドの北の湖水地区と、古い町並みのコッツウォルズ地区、ロンドンをバスで回るツアー。
英国は秘境ツアー御宅にとって、毛色の変わった場所だが、たまたま現在の中では一番、価値があると判断をした。
私の評価基準からして、80点以上は無いだろうと思っていたが、その通りであった。
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12月04日(金)
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