ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2754, 世間とは、一人ひとりの人間の繋がり

「世間」については何度も「身近な数人の縛り付けられた小さな常識の網でしかないと!」と、否定的な意味で扱ってきた。  
 それでは「世間」とはいったい何か?を、
 岸田国士が「恐怖なき生活について」で、次のように書いている。
【「社会」という概念とは一致しないが、その道徳と習慣と、特に群集心理によって支配される意志表示とを重くみた考え方で、
 それはまた、自己保存のほかなんらの理想をもたず、非情ともいうべき形式的な掟の上にたち、
 すぺての異分子的存在を排撃する本能のきわめて目立つ、地域的、時代的に限られた一社会を指すものと思われる。】
 と・・・、 簡潔で分かりやすい。≪世間=非自由≫と割り切って、沈み込まないように意識をしてきた。
 しかし、次の 佐野洋子の「私の猫たち許してほしい」の文章に出会い衝撃を受けた。

【 ある時、通りの下から二人の女の声が聞こえた。一人は相手をたしなめているようだった。
 もう一人はその人よりも若いらしく、とぎれがちにいいわけをしているようだった。
 ずいぶん長い間、ひそひそと立ち話をしているけれど、ことばは聞こえなかった。
 あるいは二十歳の私には、水商売の女の人たちの話に興味がなかったのかもしれない。
「あなたそんなことをしていると、世間が狭くなるよ」ということばだけがはっきり聞こえた。
 そしてあとは静かになってしまった。 私は、「世間が狭くなる」ということばを初めて聞いた。
「世間」ということばが、私の知っている「世間」ではない様子をして、ありありと私に見えてきた。
 私には、「世間」というものは、目に見えないものであった。漠然と私をとりまいているものであり、
 少し古めかしい、少し私を束縛するものであり、とりはらいたいものであった。 その時はじめて、
 私は‘世間というものが、一人ひとりの生きている人間のつながりである’ということを理解した。】
  が具体的で分かりやすい。
  
  これからすると、世間を否定することは人間を否定することになる。
 もしかしたら、一番大事な要を間違えていたのでは?と、少し不安になってきた。
 母が度々、気の短い私にを諌めて「自分からわざわざ世間を小さくするようなことをするな」と注意されていた。
 人の一生は、それほど多くの人と縁があるわけでない、せっかくの繋がりは大事にしなければなるまい。
 もっと、世間(=つながり)を大事にすべきだった、ということだ!
 世間とは他人である。「他人」については哲学書を読み込んできたつもりだが、世間=つながり、
 という初歩的な意味すら理解してなかったとは、驚きである。 
 当たり前のことのはずだが!

・・・・・・・・・
2007年10月19日(金)
2390, インターネット社会の凄み
                 オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪

連日のようにインターネットを介在したサイト犯罪が話題になっている。
自殺サイトの自殺依頼による殺人、見知らずの男がサイトを介在して集まっての殺人事件、
円天というネズミ講の応用の詐欺もサイトを巧妙に利用したものである。
「フラッシュ・モブ」という新しい現象も起きている。インターネットを通じて広く呼びかけられた群集が公共の場に終結し、
あらかじめ申し合わせた行動を取る即興の集会。 狭義には、2003年5月にニューヨークで企画された集会と、
その後これを真似て世界各地で企画されるようになった一連の集会のことをいう。
 それに関して、産経新聞の記事の中に面白い内容があった。
ーその概要とはー
 昨年冬のこと。北京の繁華街・王府井の一角で、数十人の若者がいきなり集まったかと思うと、
おもむろに風船を取り出してふくらまし、一斉にそれを空に飛ばして「安全はコンドームから」と叫んで、
つむじ風のように逃げ去った。 いったい何事か、と多くの通行人がぽかんとしていた。
それが、世界エイズデーにあわせたフラッシュ・モブ(中国語で快閃族)と呼ばれる行動と知ったのは、

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10月19日(日)
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