ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2699, 「レンタルの思想」−5
「宇宙の発展と文化の論理 」−@
鷲田清一×松井孝典
*ここにないものと関わる能力
松井: 前回は、生物学者の長谷川真理子さんと対談しました。
そのときの話では、現生人類には抽象概念が生まれた契機の一つが、喉の構造の変化です。
逸れによって、文節性の高い言語を獲得できたということです。その御蔭で目の前に起こってない現象でも、
抽象化して相手に伝えることができ、知恵の伝達が可能になるということでした。
つまり人類がいまのような生き方をするうえで重要な要素として、言語の機能というものがある。
それを哲学がどう考えてきたかというところから、話を始めましょう。
鷲田: 人間とはなにかということは、思想史の中でいろんな語られ方をしてきました。
いまおっしゃつた、話す人(ホモ.ロクエンス)という思想はもちろん根本的なものです。
また、遊ぶ人(ホモ・ルーデンス)というのもありますね。「遊び」ということができることを
人間の本質としてみる。ホモ・サピエンスとか、ほかにもいろんな捉え方はあるのですが
これらの共通点をみれば、ここにないものに関わっていくということ、つまり不在なものに
自分を関係づける力をもつということなんです。いま目の前に現れているものを、
取り換えられない必然のものと捉えるのでなく、それをさまざまな可能性のひとつとして
了解しなおすということなんですね。
人間以外の動物は、生物としてのシステム沼に、別のあり方がないような形で組み込まれている。
〜〜
解) 「ここにないものと関わる能力」、これは言葉の持つ最大の効力だろう。
カラスは500の鳴き声のサインがあるというし、ケニアではシマウマが鳴き声で多くのサインを出しているのを知った。
それでは、鳴声と言葉の違いは何だろうか? それは、正に「ここにないものと関わる能力」が
言葉の中にあるということである。 亡くなった親族や恩師や友人とは、生きていた時より、むしろ
深く関わること出来るようになる。 教養とは、多くの「ここにいないものと関わってきた」蓄積である。
過去を振り返ると、自分の読書量と経験量が、ここにいないものとの関わる能力の質を決めることが解る。
予習能力も復習能力も、そのうちの一つになる。 それと、更にすすむと予知能力もある。
言葉は考えれば考えるほど、奥行きが深い世界に我々を誘い込む。ファンタジーも、妄想もある。
・・・・・・・・・
2007年08月25日(土)
2335, どうせ死んでしまう ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
「狂人三歩手前」ー中島義道著 −1
ーどうせ死んでしまうー
この本は月刊誌「新潮45」の連載で、時々、このコーナーを図書館で読んでいた。
その連載をまとめたのが、この本である。本の題名が「狂人三歩手前」というのが良い。
この本の冒頭からして、 ーどうせ死んでしまうーである。
いずれプッツンするのは解っているが、生きているうちは、
せめて「いま・ここ」に集中して面白おかしく生きたいと思っているが・・・。
{いずれ死ぬのなら、何で「いま・ここ」に集中して生きる必要などあろうか?}
という投げかけの言葉も道理である! 生死の問いかけになる。
「死んでしまえば、それまでよ!」も、生き残った此岸から彼岸へいった死体に対する、
思い込みでしかない。まあ、哲学は哲学でも、この人はあまりに嫌世過ぎる。
でも、甘ったるい人生論より余程面白いし、考えさせられる。
心の奥に、「所詮は死んでしまう!ケセラセラ」という、中空を持っていないと、現実に振り回されてしまう。
「飯喰って、糞して、死ぬだけ、人生は!・・所詮死ぬのだから」
ーP・11
(字数の関係でカット08年8月25日)
ーーー
解) まあ、そういうこと! そこから出発をしないと、人間をやっていて面白くはない!
と言って、逃れることの出来ない事実の前で、それに囚われるのも癪である!
せめて束の間の一時を馬鹿踊りをするのも良いかどうかは、その人の性格による。
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08月25日(月)
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