ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2549, 一神教vs多神教 ー3
                    ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ〜♪
  *近代天皇制は一神教か?
   まずは、この本にある、「近代天皇制は一神教か」という部分を抜粋してみる。
 〜〜
近代天皇制は一種の一神教、擬似一神教ではなかったかと、ぼくは考えています。
近代日本は一神教の欧米の脅威にさらされて、わが国も一神教で対抗するしかないと思い、
京都にすっこんでいた天皇を引っ張りだしてきて神聖不可侵の神のような存在にし、
国民、特に兵士に天皇への絶対服従を強いたのですが、日本人も追いつめられると
同じようなことをしたわけです。
ウェーバーがユダヤ教の神、ヤハウェは戦争神だと言ったということはさっきも話題になりましたが、
近代日本も、その前の徳川時代には二百数十年、国内的にも対外的にも戦争をしなかったのに、
明治になってから戦争ばかりやっていました。これも、天皇を一神教の神のコピーのようなものに
したことと関係があると思います。多神教徒だって、追いつめられると、一神教的になり、
原理主義に走るんですよ。ガンジーを暗殺したのは、彼がヒンドゥ教とイスラム教との融和を
唱えたことに反対したヒンドゥ原理主義者でしたね。暴力が暴力を誘発するように、
一神教は一神教を誘発するのです。とにかく、一神教、原理主義は危険です。・・・・
 〜〜
モーセがユダヤ人に伝えたイクオトンの太陽崇拝は、太陽が唯一神であるというにしても、
まだ一神教の前段階じゃないでしょうか。近代天皇制も、天皇という具体的な人間存在が
崇拝の対象である以上は純粋な一神教ではありません。
ましてや国民は天皇陛下の赤子だなんて言っているんですから、
イスラム教のように偶像崇拝を完全に排除した一神教の場合は人間と隔絶しています。
隔絶しているというのは血のつながりがないということです、神と信者とのあいだには
まだ血のつながりがあるわけです。そのように厳密に一神教を考えると、
天照大神がいくら神々の中心であるからといっても、神道は一神教ではないですね。

   ーー
   以上だが、封建的、閉鎖的で、国家といえない国を国家へと変えようとするとき、
   擬似一神教として「神」の存在を創りあげる必要があったのである。
   それが、明治天皇、そして昭和天皇だったのである。
   その意味で、あの時期に近代天皇制を創りあげた政治家達は、やはり卓越していたといえる。
   現在の日本は米国に属国化しているが、米国はキリスト教という一神教を背景に持った国。
   日本は多神教の国であるから、それが一神教に支配されているということになる。
   
・・・・・・・・・・・
2007年03月27日(火)
2184, 聖地と台所
      オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
                       ー 読書日記
 「ファンタジーの魔法空間」 −2
           著者・井辻朱美  岩波書店

    前回、「いい場所」とは、台所と屋根裏部屋]という部分を抜粋して考えてみた。
    今回は台所と聖地を同定しながら、聖地とは何かを台所とは何か考えてみよう。
    まずは、その部分を抜粋してみる。
ー P-41
ある場所に置かれる神像はその[場所]の指標なのである。
どこに置いてあって良いというのではない。
日本なら吉の方向が定められており、マルタの台所では「一日じゅうそれが見える」
場所がそれである。神像が置かれる場所が[いい場所]ではなく、[いい場所]に
神像を置くことが正しい。

神像的[いい場所]をさらにグローバル的にいったのが聖地であろう。
植島啓司氏は『聖地の想像力』の中で、その9つの条件をあげている。
01:聖地は一aたりとも移動しない。。
02:聖地は極めてシンプルな石組みをメルクマールとする。
03:聖地は「この世に存在しない場所」である。
04:聖地は光の記憶をたどる場所である。
05:聖地は「もう一つのネットワーク」を形成する。
06:聖地は世界軸で貫通しており、一種のメモリーバンク(記憶装置)である。

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03月27日(木)
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