ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2367, エーゲ 永遠回帰の海 −3
ー読書日記
今回のギリシャ旅行の目玉の一つのデルフィの神殿について、
立花隆の「エーゲ 永遠回帰の海」の中に、解りやすい記述があった。
具体的で解りやすい興味を引かれる箇所である。
ギリシャはギリシャ神話と、哲学の起こったところであり、その原点がデルフィでもある。
最近、哲学がますます面白くなってきたことも、このギリシャ旅行への動機になった。
世界は深いし、人生ではその一端しか触れることしかできない。
少しでも多く触れて、世界を知ることが人生である。
実際のところ、その場に行ってこそ、その一端が見えてくるのである。
ツアーとはいえ世界の光の場に多く立てたのは大きな心の財産になっている。
プラトンの「饗宴」でも読もうか。
ーP・166より
古代人がどれほどアポロンの神託を信じ、それに頼っていたか、
現代人には想像を絶するものがある。
国家の重要な政治的決断がしばしばデルフィの神託にゆだねられた。
戦争をすべきかどうかなどというおうかがいもしばしばたてられた。
たとえば、前六世紀、小アジアで最も権勢をふるっていたリディアのクロイソス王は
ペルシアは覇権を競い合う関係にあり、いっそ戦争をすべきかどうかで迷っていた。
そこでデルフィにおうかがいをたてると、
「ペルシアに出兵すれば、大帝国を滅ぼすことになろう」
という神託を得たので勇躍して出兵した。しかし、その結果大敗北を喫して、
リディアは滅びてしまった。神託が当たらなかったわけではない。
神託の「大帝国」とはリディア自身のことだったのである。第三次ペルシア戦争で、
アテネが全市をペルシアに開け渡し、海戦にさそいこんで大勝利をおさめた
サラミスの海戦の戦略も、デルフィの神託によって与えられたものだった。
あるいは、あのソクラテスが哲学をはじめたのも、デルフィの神託がきっかけだった。
あるときソクラテスの弟子の一人のカイレポンが、デルフィに行って、ソクラテスよりも
賢い者がいるかどうかアポロン神にうかがいをたてた。ソクラテスは当時のアテネに
沢山いたソフィストの一人で、最近評判が高いソフィストだった。
アゴラなどで、他の名だたるソフィストたちに片端から論争を仕掛けては、
これを次々になぎ倒して、高い盛名を得つつあるところだった。
「ソボクレスは賢い エウリピデスはさらに賢い
しかし、ソクラテスは万人のなかで もっとも賢い」これがカイレポンが得た神託だった。
デルフィの神託はいつでもこのような謎めいたエピグラムの形で与えられた。
「万人のなかでもっとも賢い」ということであれば、
ソクラテスより賢い者は誰もいないことになる。
カイレポンからこれを聞いたソクラテスは深く悩んだ。
ソクラテス自身は、自分がそれほど賢い人間であるとは、夢にも考えていなかったからである。
同時にソクラテスは敬神の念が大変あつい人であったから、
アポロン神の神託が誤っているはずはないと思った。その矛盾がソクラテスを大いに悩ませた。
そこでソクラテスは、前よりもさらに激しく、政治家、法律家、教育家など、
あらゆる分野で賢いとされる人たちをつかまえては、さまざまのテーマで論争を
いどんでいった。そういうことをつづけていれば、いつか自分より賢い入に
出会うことができるかもしれないと考えたのだといわれる。
しかし、論争をいくら重ねても、ソクラテスに論争で打ち勝つ者に出会うことは
できなかった。ソクラテスが何か体系的に大きな知識を持ち、それで相手を
ねじ伏せていったということではない。
論争はいつも、ソクラテスが世の賢者、知者とされる人々に対し、
その教えが本当に正しいかどうかを問いただし、その内容を吟味していく
という形をとった。すると、問答を重ねていくうちに、相手の教説に含まれていた
大きな矛盾点が露呈されていき、いつのまにか相手は自己の論理的破綻を
認めざるを得ない立場に追いこまれていった。
論争はいつもそのような経過をたどり、世の賢者・知者とされていた人々は
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09月26日(水)
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