ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2047, あたりまえなことばかり −3
オッ(*^○^*)ハ〜
ー 読書日記
難しいことを、わかりやすく書いてあってよい。
考えることは数多ある娯楽の中で一番面白いと・・
如何にわかってないかをわかること、無知の知の自覚こそ哲学の原点という。
そして「きちっと考えれば悩まなくなる」というが、そのとおりである。
自由への道を一歩一歩、考えながら歩むことになる。
ーーー
「あたりまえなことばかり」
U・ 考えるとはどういうことか ーAー
ソクラテスもこう言ってます。
「何も考えても何の得にはならない、しかしわからないことをわかろうと
考え始めて、如何にわからないかということをはっきりわかることができる」
彼はこれを無知の知という言い方をしました。つまりはパラドックスの自覚です。
このソクラテスの無知の知という自覚は、哲学の原点です。
考えてもわからないから、なお考えるのです。
逆に、考えるということはそこから始まるのです。
この「考える」ということは、世の中にある他の面白さなど大したことはない、
というふうになります。他の娯楽が多くあるが、直に飽きます。
それはその面白さが大したことがないからです。
考えることがなぜ飽きないかというと、いくら考えても先があるからです。
もう少し実用的な言い方をすると、きちんと考えていると、悩まなくなります。
考えることが自分から始まって宇宙まで広がると、
その開放感とか自由感は凄いものなのです。
なぜなら、非常に大きなところから自分を見る視点を獲得するからです。
相対的な視点が獲得できると、我われは日常のべったり張り付いている
場所に居ながら、また宇宙大の視点から見ることができるから、
非常に自由になれるわけです。
今が日常のすべてと思い込んでいる人が、こういう目を持つことができれば、
あれこれ悩んだり喧嘩したりすることから開放されるのです。
死体が残って、死が何処にもなければ、人は当然、魂という発想を持つわけですが、
これを上手く語る言葉がない。
また魂を語るといって、これは死後を語るということではないのです。
死後とは、これこれであると言ってしまえば、それは宗教になってしまいます。
死後は誰もわかっていないのです。
ですから、古代の人の死生観が如何に自然であったか気づくわけです。
どうやら人が自分を自分と思っている自分は、それほど明確なものではないらしい。
自分と宇宙、自分と他人というものをうまく分けられない。
万物は流転しているようだとだんだん気づいてきます。
そうすると再び、今ここに居て何かをしている自分は何か、
という問いに戻ってきます。
我われがこの地球に存在したことの意味と目的というのは、
考えることによって、その不思議さを自覚することによって、
自由になることにあると思います。
我われは考えないことによって、要らないことにいっぱいこだわって、
不自由になっているいるわけですから、考えることによって、
それから一つ一つ自由になっていく。
また本来すべての我われが自由であったということに、
考えることによって人は必ず気づくはずです。
謎を自覚することは、自由である他になりません。
だからこそ人は、じっくり考える必要がある。
考えて、自覚すること、自分が自分であることの謎を自覚することこそ、
この時代の人生を生きることの意味は尽きていると考えます。
ーー
以上が「考がるとはどういうことか」の主旨である。
「人間の最上の快楽は考えることである」というのは、少しは納得できた。
秘境旅行に行って、サッパリして帰ってくるのと酷似しているから尚のことだ。
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11月10日(金)
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