ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2016, 「私」のための現代思想 −9
(≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス!
*まずは第四章の内容を大まかに書いてみる
この章では、「私」にとって「他者」とは何かを掘り下げている。
「他人」と「他者」の違いと、
「他者」は「私」にとってどういう位置づけなのか?
その意味と位置づけが、この章を読んでいると少しずつ解ってくる。
「私」は<他者>の「声」の存在を通して「境界」の存在を察知する。
その境界の中で、芯としての《私》に気づきます。
他者との境界が、内なる《私》をつくっていく。
他者は時間とともに変わり、消滅しても「境界」と、内なる《私》は残る。
この汝らとの境界が発生することによって、それまで未分化だった「私」は、
明確な「形」をもつようになります。
これが《私》の発生です。
《私》は、他者の「声」に触発されて発生する「私の核」である。
それがいつの間にか、私の境界を守るようになる。
それが孤独を発生させ、「固別であること」の自由を得ることになる。
その《私》は「他者」を自分の都合の良いように認識する、
その姿が「他人」となる。
「他人」の姿は、《私》が自分の物語のためにつくり上げた
「他者」の像でしかないのか?
そう考えると、全くその通りでしかない!
ー以下は、要点を抜粋した内容であるー
ーーー
第四章 「私」にとって「他者」とは何か
−@
この章では、私たちの存在の核である、
《私》の成り立ちを明らかにすることによって、<私><身体>を
所有することを考えていく。
他者と他人は異なる概念であるということに注意すること。
とは何か」ということから考えはじめる。
ところで、<物語>と<世界>を所有した人間は、その物語を遂行する際や、
世界認識において、と対立します。
とは、異なる物語を生きる者たちの集合体なので、
そこに行き違いが発生する。
行き違いを調整して同じものを目指そうとする必要がありません。
の存在を想定することによって、を所有することが
できるのです。
ーレヴィナスの<他者>−
*実存すること、とは
他者を考える前段階として、「存在する」ということの意味から考えると・・
レヴィナスは、「何もない」というとき、「何もない」という状態が
「存在している」必要があると考える。これは難しい概念だが、
「あるーない」というのは、判定者が存在して初めて語られうる
「情報」であると考えれば納得のいくことです。
「あるーない」というとき、必ずそこには「あるーない」のいずれかであるを
判定する営みが必要ということです。
一般に情報は、情報として純粋・単独で存在することはできず、
それを受け取り、了解する者がいて初めて成立する概念であると考える
のが普通です。「剥き出しの『ある』」「剥き出しの『ない』」を考えよう
ということです。
「ある」は「ある」という状態でのみで(判定者を必要とせず)
「ない」は「ない」という状態でのみで完結して「存在している」
と考えるわけです。
このような状態での「ある」を、レヴィナスは「実存すること」と呼びます。
それは、実体をもたない、単なる「存在」です。
つまりレヴィナスは、「動詞」(実在する)によって表現される
「何か」を考えたわけです。
この何かは「もの」でも、「存在『者』」でもありません。
『情報と物質』という二つの状態を考えることで描像をえることができる。
つまり「存在」するとは情報としての状態であり、
「存在者」は物質としての状態です。
ー位相転換ー
「存在する」というように、動詞のみで表現される「何か」
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10月10日(火)
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