ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1662, 「人生の実りの言葉」−2
 
ー運命

この章『運命』冒頭の
モンテーニュの「エッセー」の一節がよい。

ー運命はわれわれに幸福も不幸も与えない。
ただその素材と種子を提供するだけだ。
それを、それよりも強いわれわれの心が好きなように変えたり、用いる。
われわれの心がそれを幸福にも不幸にもする唯一の原因であり、支配者なのである。ー

自分の人生で、いつも何時もこの心の葛藤があった。
そして、いつも何事も修行と思えば、気分まで卑屈になることはなかった?
何事も、その対処をするに如何考えるかである。

 高見順がガンによる死の前にこういう詩を作った

    電車の窓の外は
    光にみち
    喜びにみち
    いきいきといきづいている
    この世ともうお別れかと思うと
    見なれた景色が
    急に新鮮に見えてきた

    この世が
    人間も自然も
    幸福にみちみちている
    だのに私は死ななければならぬ
    だのにこの世は実にしあわせそうだ
    それが私の心を悲しませないで
    かえって私の悲しみを慰めてくれる
    私の胸に感動があふれ
    胸がつまって涙が出そうになる
                                
       高見順『詩集 死の淵より』
  ーーー

 死に切迫した人間の、ぎりぎりの葛藤から生まれる孤独の詩である。
誰もが身近な人の死に直面した経験があるはずだ。
しかし自分が直面する場合と、それが最愛の人であっても全く違うのは
両親を見ていてよくわかった。
母親の心のどこかで、「自分でなくてよかった!」という気持ちがみえた。
そのくらい割り切らないと、最愛の伴侶の死を冷静になって見送ることができない。

死が近くなる実感によって、生が凝縮されてくる。
「人間は死を覚悟した瞬間から死ぬまで、それまで生きた全ての人生を生きる」
という。父の死で、それをま近にみた。
死の淵で人間は、過去に生きるしかない。
そして、その全人生を生きるのだ。
人間はノタウチマワッテ死ぬかもしれない。
それはそれで、よいのかもしれない。

死という最終の運命が誰にも待ち受けている。
それに対して、どう対応できるか?
70歳になると、死が後ろから迫るのでなく
前から近づく感覚になるという。
その死に対してただ茫然とするしかないのか。

・・・・・・・
・・・・・・・

2004年10月21日(木)
1297, 原価は一人170万円

毎日新聞の『外国人事件の実情』という、シリーズものの記事によると、
「フィリッピンパブや、外人パブや、性産業に売られる女性の値段は
一人当たりの原価が170万円前後。女は原価の3倍の500万を返すまでは
逃げられない」という。

その筋の男の話によると、
「タイの女性なら、シンガポールやブルネイに寄らせて、その国の
偽造パスポートで日本に入国させる。両国は、日本入国にビザが必要ないからだ。
現地からブローカーが付き添い、例えば上野のホテルで170万円と引き換えで
引き渡す。タイ、フィリッピン、台湾、コロンビア・・・。
女性の国籍はさまざまだが、値段の原価は一緒である。
取締りの厳しい時は、品不足になり、高くなる。
売春の値段は大体、泊まりで3万が相場で、早い娘で3ヶ月で返す娘もいる。
その後は儲けになるから、悲壮感は無い」とか。
一方で、「同じ地域の出身者を一箇所に集め、逃げたり通報した場合、
どの家の娘か分るようにして、ブローカーから家族から取り立て出来るように
なっている」という。

バブル華やかな頃、何回かフィッリピン・パブに行ったことがあった。
そこは、ただ遊びに行くコースと、口説いて店の外で売春をするコースが
あると聞いていた。ただ会話が面白く、陽気で、何ともいえない異国情緒が良かった。
それと、一生懸命、接客してくれるのが良かった記憶がある。
ところが最近になって、殆んど暴力団が背後にあると知った。

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10月21日(金)
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