ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1616, 楽しく生きる−1
「楽しく生きる」を、
私流に「面白おかしく生きる」というコンセプトにして自分に課してきた。
それも20歳代の頃からである。
むしろ「楽しみを見つけだす」という生き方であった。
私の行蔵の中の「楽しい時間」の中には、溢れんばかりの行蔵が詰まっている。
(他人からみたらガラクタだろうが、私にとってお宝である)
楽しいときは、どういうときであろうか。
・自分のしたいことをしているとき
・何かを期待してワクワクしているとき
・感動をしているとき
・自分の望んでいたことが実現しているとき
・人に褒めてもらえたとき
・自分の生き方に自信を持ってるとき
等々、上げられる。
いずれも肯定的な感情に包まれ、自分の欲求が満たされたときである。
一度だけの人生、肯定的な感情で、かつ自分の欲求を満たさなかったら、
人生を浪費していることになる。
特に人生の後半は前半ほど単純ではない。多くの過去を背負っているからである。
ならばこそ、その中で「楽しく生きる」喜びも深くなる。
文筆家(哲学者)池田晶子 の
「楽しく生きるためにどうすべきか」という文章がよい。
彼女は、哲学することの意味を平易な言葉で語ることに定評がある。
ーまずは、彼女の文章をそのまま書き写してみる。
人生は短い。と、どうしてもやはり思いますよね。
平均寿命は80とは言われますが、歳をとってからできることは当然若い頃より制限されますし、
ましてやその歳まで生きるかどうかの保証はどこにもないわけです。
ひょっとしたら、明日、心臓発作で死ぬかもしれない。
縁起でもないと、普通はやはり思いますよね。
しかし、よく考えてみると、いやよく考えるなどしなくても、生きている限り人が死ぬのは
当たり前で、この当たり前を当たり前として認識しているかどうかで、人の人生観は全然違った
ものになるようです。
今のここに死はあるからこそ今のここの生はあるのだと思えば、人生は長いとか短いとか
言いようもなくなるはずだからです。
だって、いつだって、「この今」しかないのだから。
「この今」しかないと気づけば、先のことをあれこれ悩んで苦しむことはなくなるようです。
悩みや苦しみというのは、人生には先があるとする錯覚的時間認識が作り出す、
まあ一種の気の迷いみたいなもんでしょう。
未来への不安、もしくは過去への後悔、いずれも時間認識の勘違いです。
だって、未来や過去を悩んだり苦しんだりしているのは、まさしくこの現在ではないですか。
あ、なあんだ。 と、気がつけば、錯覚としての悩みや苦しみは脱落します。
そして、なんらそういった感情は湧かなくなり、逆に楽しみや喜びといった感情が湧いてくる
ようになるようです。むろん、悩みや苦しみのタネは変わらずに存在していますよね。
我々は生身の存在だからです。仕事上の悩みが存在すれば、病いの苦しみだって存在する。
それは偽りのない事実です。
しかし、それらを言わば受け身で悩み苦しんでいるということではなくて、
妙な言い方ですが、
悩むことを楽しむとか、苦しむことを喜ぶとか、そんなふうに変えられるようです。
要するに、楽しみや喜びというのは、どこか外にあるものではなくて、
自分の側の心の構えのことだということです。それを楽しんでやろうという構えでいれば、
それが何なのであれ、それはその人にとって楽しみとなるはずです。
楽しむということは、今しか存在しないのだから、その今を楽しむということ
以外ではないでしょう。
矛盾したことを言うようですが、それでもやっぱり時間というのは存在する。
我々は生身の存在であって、肉体は刻々老いてゆく、以前できたことが今はもうできない、
体の故障は不愉快だ。
昨今はアンチエイジングブームで、それら加齢に伴う現象を否定的に
捉える向きがあるようですが、しかしこれはもったいないことのように思います。
なぜなら、老いるという経験は、誰も初めてのことであるはずで、せっかくの未知なる体験を、
否定してないものにしてしまうのは惜しい。
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09月05日(月)
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