ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1579, 閑話小題
一昨夜の夢の話ー

面白い夢を見るものだ。
医者から薬による至高体験のため、無害の麻薬を注射してもらった夢である。
薬によるハイ状態とはどんなものか、病院のベッドに横になって
冷静に薬によるハイを待っている。
ところが、横になっていなければならないのに、歩き出してしまった。
危ないと思って元のベッドに戻った。
しばらくすると、フア〜とした酔った感覚になった。
潜在意識が、薬の至高状態の経験を夢のカタチでさせようとしたのだろう。
安全であれば一度は経験してみたいが、安全のわけがない。

インドに行った時、ツアーの同行の女性から??を飲んだ体験談を聞いたことがあった。
とにかく、可笑しくなり腹の底から笑って嬉しさが極限になるという。
経験者がいうことは解りやすい。


ー広い世界に馬鹿ひとりー

何気なく浮かんだ言葉で、何も深い意味は無い。
自分に対する心の奥底の言葉といったらよいだろう。
「小さい井戸の殿様蛙」という言葉と対比すると面白か。
世界を一人漂流旅をつづけていると、こんな言葉が出てくるのだろう。

孤独感と、広い世界に拠りどころを見出せない虚無感が覆いかぶさった自嘲の叫びか。
しかし、この言葉に何ともいえない親しみを覚えるのは何故だろう。

一人大声で『あ〜あ!』と大きな溜息をつく癖がある。
この溜息の背後にあるのは「広い世界に馬鹿一人」と「小さな井戸の殿様蛙」
という自嘲の気持のクロスか。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2004年07月30日(金)
1214,パスカル(3)
−哲学についてー24

ー「賭けの断章」

「賭けの断章」は『パンセ』の中でも最も有名な断章の一つである。
神の存在と信じる方に賭けることの有利さを確率的議論から
説得しようとするものである。

「神は存在するか、しないか。どちらに賭ける? 」
すでにこの世に生きている以上、この勝負を降りることはできない。
賭けないということ自体が、結果的に一つの選択になる。
賭ける対象は、「自分の人生そのもの」であるから大きな命題だ。
 
・神が存在するという方に賭けて、
 勝てば永遠の生命と無限に続く喜びを得て、人生は意味あるものとなるが、
 賭けに負けても、失うのものは何もない。
・反対に、神は存在しないという方に賭た場合、たとえ賭けに勝っても、
 儲けは現世の幸福だけである。
 死後は虚無とみなすことになるから、得るものは何もない。
 
 逆に負けたとき、損失はあまりに大きい。
 来世の幸福をすべて失うことになるからである。
 如何みても神の存在を認めるほうが有利であると言いたかったのだ。

 37年前、『パンセ』のこの断章を読んだとき、ナルホドと納得をした。
といって、今さらキリスト教関係のクラブに入るには遅かった?
せっかくミッション系の大学だったのに惜しいことをしたと悔いが残った。
理性で納得し、心情が同意するためには時間がかかる。
そのためには人との出会いと時間が必要であった。

しかし、今から考えてみて、自分は仏教の方が向いているが。
 
ー以下はパンセの中の断片集の抜粋である。

・人間は一つの極端にあるからといって、その偉大さを示しはしない。
 むしろ同時に二つの極端に達し、その中間を全て満たすことによって、
 それを示すものである。 

・人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない。 
  自分自身においても、また他人に対しても

・もしクレオパトラの鼻がもっと低かったなら、世界の歴史は変わっていただろう。
 人間のむなしさを知ろうとするなら、恋愛の原因と結果とをよく眺めるがよい。

・人間はつねに、自分に理解できない事柄はなんでも否定したがるものである。

・人間相互の尊敬を結ぶ綱は、一般的に必要から生じたものである。
 というのは、全ての人間が支配者になりたがるが、
 みながそれになるわけにはいかないし、種種の階級が存在せねばならないのだから。


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07月30日(土)
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