ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1567, つれづれに
ー二ヶ月に一度ぐらい、全く随想日記のネタが無くなる時がある。
今がそうだ。
面倒になるのと、馬鹿馬鹿しくなる。
随想日記は毎日「独り言」をいっているようなものだ。
独り言に起承転結をつけていることになる。
思考には非常に有効なことが解っているし、
止めたら張り合いが無くなるのも解っている。
このお陰で目の前の人たちへの、言葉の攻撃が少なくなった。
しかし、そうそうネタが思いつかない。
ネタが無くなった後に、以前より多くのテーマが出てくるから不思議である。
全く違う分野に視点を向けざるを得なくなるからだろう。
ー昨日の「サンデープロジェクト」を見ていて呆れてしまった。
ゼネコンから送り込まれた代議士の「犯罪を犯して何が悪い!」
という開き直りの言葉には、空いた口が塞がらない。
この程度の連中が日本の中枢にいて、そしてTVに出てきて堂々と、
犯罪肯定をしているのだから何をかいわんやである。
談合を止めると多くのゼネコンが倒産するという論法である。
談合という犯罪で生き延びている方がおかしい。
泥棒を認めないと餓死者が出るというのと同じ論法だ。
奴らは犯罪者なのだ、それもマフィアなのだ。
この国は、犯罪組織が牛耳っている。
ゼネコンと、官僚と、政治家が犯罪システムを組んでいる汚職システムが
長年かけてつくられているのだ。
それが、情報化で抑えきれなくなった事態が現状である。
ー昨日、ダイエーに行ってみた。
閉店前の店というのは、もの悲しい何かがある。
ここが閉鎖されると、一挙に駅裏は寂れた雰囲気になる。
これに反して、信濃川をはさんだ川西地区には、
来年二つの大型SCがオープン予定である。
ー梅雨が明けたようだ。
雪と梅雨は日本の農業にとって大きな恵みとなる。
これから2ヶ月熱暑がつづく。
ー今日明日中に、旅行先を決めないと。
不景気ためか?気合が入らない。
といって、そろそろガス抜きも必要だ。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
2004年07月18日(日)
1202, 実存哲学(1)
ー哲学について-17
実存の哲学とは[真理」ではなく[実存」を出発点とした哲学である。
最初に実存の哲学を語ったのはキエルケゴールである。
実存とは[この私がここにいる]であり、キエルケゴールは「真理」を語る
伝統的な哲学者を批判し、ニーチェなどに大きな影響を与えた。
哲学上の近代から現代への大テーマの転換は、認識論から存在論への転換です。
「本質」から、「存在」への転換といってもよい。
実存という言葉は、中世スコラ哲学が
本質存在と対比させた事実存在という概念に由来する。
「〜である」に対応する概念が「本質存在」であり、
「いる・ある」に対応するのが「事実存在」である。
すなわち実存とは、事実をして存在していることが重要だという考えを含んだ
概念であり、サルトルはそれを「実存は本質にせんこうする」と表現した。
キエルケゴールは以前にも書いたが、不安や孤独や絶望を真正面からとらえた。
それは、人間が精神を持ち、自由であることの証であると。
主体の哲学である。
人間が人間であることの特性や意味を哲学の対象としたことで、それまでの哲学
とは違った実存哲学が注目されるようになった。
それまでの古典哲学の代表者であるヘーゲルと基本的なキーワードで比較すると
ヘーゲル ー普遍性ー客観性ー抽象的
キエルケゴール ー単独社ー主体性ー実存的
となる。
このキエルケゴールに対して、
サルトルが彼の絶対者ー神を前提とすることを根底から否定して
「実存が本質に先立つ」と主張をはじめた。
サルトルはー
ーわれわれを取り巻く根本状況は、本質を持った「何ものかである前に、すでに
事実存在としてある、実存している。
この根本状況はわたしたちが自ら選択したものではない。
それでは流されていてよいのかというと、そうではない。
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07月18日(月)
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