ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1530, わたしの酒中日記−6


金沢ー4

ー1972年3月末日

大学時代の友人の島村君が訪ねてくる。
年賀葉書に金沢にいると書いたためだ。
何か金沢というと、東京では憧れがあるようだ。

やはり一月前に、前いた会社の同期の桜井君が訪ねてきた。
寮には社外の宿泊禁止規定があるが,こっそりと泊める。
これだけうるさい会社で、二回も規定違反をするのだからスリルがある。
二人とも、寮に泊めてもらうつもりで来ているから。

夜に落ち合って、香林坊で飲む。
金沢の独特の雰囲気にのまれ、行く先々に興奮気味だった。
私の現状はこれ以下ない惨めさである!
観光気分の立場とは全く違うのだ。

それにしても、大学を卒業して激しい環境にいたのを島村君と対比して実感する。
丸善石油の総務にいて、ほとんど苦労していないみたいだ。
それに引き替え私は、あまりにも惨めな気持ちである。

居酒屋にしてもスナックにしても、東京の世界とは全く違う。
ただただ目を白黒している。
直感的に金沢の異質な世界がわかるようだ。

最後はホテルの最上階のスカイラウンジに連れて行く。
金沢の街が一望に見えるバーカウンターで、学生時代を懐かしむ。
しかし懐かしむほど、惨めな気分になる。
サラリーマンは気楽で良いものだ。

「私は独立を目指してここにいる」
という気持ちが、現在の自分を支えているだけだ。

・・・・・・・
・・・・・・・


2004年06月11日(金)
1165, 哲学について−2

 「私は何をすることができるか」の「形而上学」は事物の本質、存在の根本原理を
 思惟や直観によって研究する学問であるが、
 ーアリストテレスにおいては存在一般を考察する存在論、また超越的なものを探究する
  学問であった。
 ーカントは純粋理性からの認識論をめざした。
 ーヘーゲルは反弁証法的思考を形而上学的と呼んだ。
  
 我々の住む世界の特徴は、空間(三次元)と時間(一次元)から成り立っているが、
その「空間とは、時間とは、そもそも何ぞや」という疑問から、その問いに対する答えを
探そうとする。そこでは信仰にすりかえたり、権威にすりかえることは許されない。

哲学といえば、さきほど述べた形而上学には二つの基本課題がある。
・「存在するものは何か」
・「もし何かを知ることができるとしたら、それはどのようにして可能か」である。
 「存在論」と「認識論」である。
 この何が存在し、何を知ることができるかという課題は哲学で探求される問題の
 大前提である。

哲学を芸術と宗教と科学の違いから見てみると
ー宗教は理より信仰がまずあり、宗教心を育てることに重きを置く。
ー芸術は哲学とものごとの底流にある真実をもとめ、人間を理解しようとするが、
 その手段が絵画や音楽などの作品を通して直接的な感にうったえる。
ー科学もしかりである。真実を追究するが、実験や観察によって答えが出せる問題に限られる。
 物質的な問題が主になる。
フォイエルバッハではないが、
「宗教にとっては、神聖なるもののみが真実である。
哲学にとっては、真実なるもののみが神聖である。」というが、
芸術は、さしずめ作品そのものの感動が真実である。

これらはけっして相反するものではなくどれも宇宙や社会や人間の存在という
不思議を深く理解しようとするものである。
また、直感と批判をどれもが必要としている。
              
                           ーつづく
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

 2003年06月11日(水)
798,「ありがとう」の言葉  −1

 長年生きてきてつくづく感じるのが「幸せ系の人」と「不幸系の人」がはっきり分かれて
いることである。家柄、結婚の相方との相性、本人の品性等いろいろの要素がある。
多くの人を見てきて、不幸系の人に感謝の念が足りない人ー特に両親に
対する感謝が少ない人ーが多いことに気づいた。両親に対する不信感ーが本人を不幸にしている

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06月11日(土)
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