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堀井On-Line
by horii86
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■1475, 汚れつちまつた悲しみに−2


「汚れつちまつた悲しみに」の
「汚れ」を「倒れ(挫折)」にして、
「倒れてしまった悲しみに」
 という詩を書いてみた。
昔の何度かの挫折を思い出しながら。
    −作成時、2005年4月16日 20時20分


ー倒れてしまった悲しみにー


倒れてしまった悲しみに

今日も涙の雨が降りかかる

倒れてしまった悲しみに

今日も嵐が吹き荒れる


倒れたしまった悲しみは

たとえば樹氷のように突き刺さる

倒れてしまった悲しみは

たとえば黒い血海のよう


倒れてしまった悲しみは

たとえば虚空の空飛ぶ蜻蛉よ

倒れてしまった悲しみは

あなたの愛に気づくとき


倒れてしまった悲しみは

夢みた昔を懐かしみ

倒れたしまった悲しみは

倒した人を思いだす


倒れてしまった悲しみは

光りの日々が走馬灯

倒れてしまった悲しみは

独りの自分に出会うとき


倒れてしまった悲しみは
悲しい悲しい悲しみよ 
悲しい悲しい悲しみよ

倒れてしまった悲しみは
倒れてしまった悲しみは
倒れてしまった悲しみは


・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・

2004年04月17日(土)
1110, 「ライフ・レッスン」ー読書日記 −3

 第二章 愛のレッスン
 
・ことばで説明するのがきわめてむずかしい愛こそが、人生という経験のなかで
ただ一つの真実である。永続をするただひとつのものである。

愛は恐れと対極にあるもの、つながりの本質、想像の核心、力の美しい部分、
自己が自己である為のもっとも微妙な部分である。

・自分を愛する事は、いつも周囲にある愛を受け入れる事である。
それはあらゆる障害をとりのぞくことである。
自分がつくってしまった障害に気がつくのは容易なことではないが、
実はこころの中にいくつもの障害があり、それが人間関係影をなげかけている。

神に会うことができたら、神は「おのれに愛をあたえたか、人に愛を
あたえたか?人からの、おのれからの愛をうけたか?」と問うだろう。
自分自身を愛する力は、人の愛を受け入れ、人を愛することによって身に
付いていく。神はわれわれに、愛し、愛される無限の機会をあたえてくれる。


・わたしたちのほとんどは、じつは愛を経験をしたことが無い。
経験をしてきたことは愛ではなく報酬である。

子供の頃、わたしたちはお行儀よくしていれば、いい成績をとれば、
オバアチャンにやさしくしてあげれば、手をよく洗えば、
「愛してもらえる」ことを学んできた。

愛されようと努力はしたが、それが条件つけの愛であり、にせものの愛であった
ことに気がつかなかった。

いちいち他人から是認を必要とするような愛を本当の愛とよべるだろうか?
自分自身への慈しみの心を持つことが、本当の愛の第一歩である。
 
 あなたはたましいによい栄養をあたえていただろうか?
自分を愛している人は、何をするにも顔にほほえみを浮かべている。
それをすることがうれしくて、たましいが歌をうたっているのだ。

そうすべきだと教えられきたような行為ではなく、そうしたいからしている
行為である。たましいに栄養をあたえる行為とは、もしかして、休日でも早起きを
してなにか「有益な」ことをするのではなく、ただのんびりと寝ていること
かもしれない。


・「愛にツいてないのです」と彼は答えた。
「何人かの女性を愛そうとしました。相手を幸福にしようと努力をしました。
ほんとうです。相手を幸福にしよう努力もしました。」
わたしはかれに質問をしました。かれにとっては、まったく意外な質問
だったらしいのです。

「もし愛が、相手の女性を幸福にするものでなかったとしたら?
そんなこととは無関係に、ただ傍にいるだけが愛だとしたら?
相手を幸福にするという思い込みすてて、ただ傍にいることが、

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04月17日(日)
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