ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1382, 23歳の日記ー8
9月01日 1969年
雲屯庵にきている。
学生時代にいた司法試験のため、一人きていた三条の高橋さんがいた。
新井石龍禅師と早速話しをする。
私「いや〜、世の中こんなに厳しいとは思ってもいませんでした!
理屈と実社会との隔離にただただ驚いています」
禅師「世の中は、変わりはしない。世の中が厳しいのではなく、
あなたの理屈が甘かっただけの話です。」
私「・・・・・」
その夜、休暇で日本に帰ってきていた慶応を出て、ハーバード大の
ビジネス・スクールの学生がいた。
彼と高橋さんと、そこの雲水と話をする。
ところが、その雲水が博学で、高橋さんと私はダンマリ。
ハーバードと雲水の議論に全くついていけないのだ。
どうしたのだろう?
禅師に昼間真っ二つに甘さを指摘され、夜は夜で二人の議論について
いけない自分が、そこにいるのだ。
何だろう、何だろう、何だろう!
実践としてスーパーに入ったが、何にもできない中途半端な自分が
いるし、実際のところ濁流の中でもう水を飲んでアップアップしている
だけの自分が、神戸の垂水に一人呆然としているだけだ。
どうしたのだ、どうしたのだ。
適当に真面目に考えることもないが。
ーーーー
2005年ー1月14日記ー
ーこの時のショックは計り知れないものがあった。
身近で、これだけの知的水準の高い同年代ハーバード大の人と接したのは
初めての経験。会話さえついていけないのだ。
一言一言の言葉が宇宙語のようであった。
その逆の環境の真っ只中にいたから、その段差がなおのことあったのだろう。
「学生時代に自分は何をしてきたのだろう?」という、疑問を持ったまま
卒業をしたこともあり、「いま一度一人になって知識の再構築したい」
という気持ちが芽生えたキッカケになった。
司法試験をしていた高橋さんが三条市で弁護士になっていると、
その後聞いたことがある。
まだ会ってはないが、実直な無口な人であった。
懐かしい日々であった。
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・・・・・・・・
2004年01月14日(水)
1015, 一人と独り
度々この言葉の書き方を迷うことが多い。
私の場合は、
状況から「疎外感を持っている状態」を「独り」と書き、
数名の一人の場合を「一人」と書いていた。
独りは、独身や孤独などの置かれた状況をいい、
一人は、一が人についている状態で孤立とは違う。
したがって独りという言葉とは少し意味が違ってくる。
数字で言うと一人は「一」で、
独りは「ゼロ」ということか。
辞書で調べると
独り ー単独、孤独「独りになりたい」
一人 ー人数「息子が一人います」となっている。
状況と数の違いということだ。
凍りつくような独身生活と
青春を謳歌している独身生活とは
同じ独りでも、また意味が違ってくる。
老人の自殺は、凍りつくような独り生活に耐えられなくなるケースが多い。
生涯を通じて、自分独りの楽しみを創ってきたかどうかだ。
しかし連れ添いや子供を失った喪失感は、それでもカバーできない場合がある。
この随想日記も早朝、独り居間で書いている。
全く寂しいとか、辛くて書いてはいない。
どちらかというと面白い。
「独り」は「真我」といってよい。
自分の中心点の奥の「正一点中心無」といも言えるだろう。
以下はインターネットで調べた内容をコピーしました。
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「独りって…」
ある人が言ってたよ。
一人と独りは違うとね。
私はその言葉にうなずくよ。
私は独りだけど独りじゃない。
私には、友達も仲間もお母さんもいる。
でも、私は独りです。
どんなに幸せな時間が流れても
さっきまで、仲間と笑ってる時間があっても
独りの寂しさはやってきます。
人間、しょせん独りなんです。
・・・・・・・
一人と独り
一人でいると
独りであることを
強く感じる時がある
二人でいても
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01月14日(金)
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