ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1298, 2000年前のポンペイ −2


 図書館で何気なく歴史コーナーを見ていたら、
「『ポンペイ』完全復活、2000年前の古代都市」というグラビア集があった。
一ケ月位前にTVで『ポンペイ』を特集していたのをDVDに録って、その面白さに
繰り返し見た後なので、思わす時間を忘れて、その場で見入ってしまった。
もちろん、借りてきて見ているがTVよりさらに深い内容である。
本は、映像では表現できない違う役割がある。

 AC/79年8月24日、ヴェスヴィオス山の大爆発で火山灰で埋没したこの街は、
その18世紀半ばからの発掘によって、古代ローマを知る上で大発見になった。
それまで、古代ローマの遺跡といえば、ローマ市郊外の遺跡であったり、
地中海沿岸の都市であった。
ローマ帝国は、このような街が数千もあって、それによって支えられていた。
しかし、それらはその後の追加工事などで、当時の原型を殆ど留めていない
ものばかり。これだけ、完璧に残って発見されたのは歴史上初めてである。
街そのものを、石膏(火砕流)を流し込んで、そのまま保存したようなものである。

ーそのグラビアの内容とは

・街全体の航空写真と、それを元につくられた街の復元の絵

・それで解ったポンペイの都市計画図
 そして街の構成と築造技術

・給水システムと下水システム

・共同墓地と体育場と円形闘技場、そしてスタビア浴場

・娼婦の館の写真と、そのレイアウト。
 そして、そこに描かれていた男女交合の絵

・完全に残っているパン屋と、内部の工場と、パン原型
 そして、それをもとに作られたパン屋の想像図

・複合劇場施設の航空写真と、その図面と、想像図

・音楽堂と、そこに描かれていた壁画と、残されていたタンバリンと、
 ブロンズ製のパンパイプ

・街の心臓部になっていた、市民広場
 そこでは、街の住人や、郊外の豊かな農民、商人、遊び人など様々な
 人たちが集っていた。そこでは選挙もおこなわれていた。

・公衆トイレもあり、入ると控えの間があり、外からは見えないように
 なっていた。そこを入ると便座があり、排水溝があって常に水が
 勢いよく流れていた。

こう見ると、現代の都市と大して変わりがないといってもよい。
                       
                         ーつづく

以下は、先日書いた内容です。
  −−−

1273, 2000年前のポンペイ
09月27日(月)

先日、TVで「ポンペイ」を特集をしていた。
十数年前にイタリアに旅行した時に立ち寄った、ポンペイの街の記憶と
TVの内容が重なって、非常に興味を持ってみることができた。

ーまずはポンペイの概略を書いてみる

ナポリの南東にあるヴェスヴィオス山のふもとの町。
古代ローマ時代には貴族たちの別荘地として発展し、
パクス・ロマーナ期の繁栄ぶりはめざましいものがあった。
当時の人口は2万。
公共施設が次々と建てられ、建物の構えはローマにひけをとらないほどだった。

悲劇は、AC79年8月24日にやってきた。
ヴェスヴィオス山が突然、大爆発を起こしたのである。
大地は鳴動して山頂は吹っ飛び、火口がぽっかり口をあけた。
きのこ雲は天に達し、くもった空の下に、三日三晩、火山灰と火山弾が降り注ぎ、
泥流は火口をあふれ出し、町を襲った。
ポンペイの町にも大量の石や灰が積もり、噴火の翌日までにその灰の深さは
5〜7mにも達した。
屋根の損壊や有毒ガスによる窒息による犠牲者の数は人口の1割にあたる
2000人と考えられている。

そこには火砕流でタイムカプセルのように、当時の生活が残されていた。
遺体を覆った火砕流の岩石の空洞に、石膏を入れて型どった生々しい遺体の像が
幾つかあった。お金を握った者や、妊婦や、奴隷、子供、犬など様々だ。
街を歩いていて驚いたのは、タイムカプセルでドロップアウトしたようになるほど、
リアルに当時の生活が残っていたことだ。

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10月22日(金)
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