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堀井On-Line
by horii86
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■1232, 「こころ」の出家 -読書日記
この年齢になると周囲が、定年、病、倒産、子供の自立、連れ添いの死、老父母の死、
等、何らかの大きな転換期に直面してくる。
情報化社会に翻弄されて深刻な危機に何らか陥っているケースが多い。
この本は現代中高年論であるが、なかなか味わいのある内容だ。
人生の後半にとって、「真に豊かな時間とはなにか」を問いかけている。
特に、自分の内側に向けての豊かさが問われる時期になってくる。
*ふと書いていて気がついたが、この随想日記は内に向かって問いかけていることになる。
自らの経験と思索を、そのまま書き綴っていることは、豊かな時間ということだが?
書けば書くほど、自分の深層の階段を一歩一歩降りている。
今のところ、まだ地下2〜3Fだが、書き続けているうちに地下10Fまでいく
可能性がある。ユングや横尾忠則の世界に近づくかもしれない。
いや、それは無いか!
この本の最後のまとめになっている
「第5章ー もう一つの座標軸―豊かな時間を求めて」がよい。
その中の気に入った部分を抜粋してみる。
自分の好きな映画の「男はつらいよ」の寅さんへの気持がそのまま書いてあった。
ー27年間に48作、多くの人が寅さんとともに充足をした至福の時間を共有してきた。
寄せられた手紙の一つ一つが、映画「寅さん」がわたしたちに残してくれたものの
重さを物語っている。「寅さん」という存在は、その自由な生き方への共感と
憧れの対象でなるのみにとどまらず、わたしたちが失ってしまった大事なものを
発見させてくれるものであった。
ここでわたしは、いま一人の俳優をふれなくてはならない。
渥美清の死より3年前、1993年に亡くなった笠知衆のことである。.......
さらにある人は、笠さんに、私的な悲しみと同時に、もっと普遍的なものを見ている。
人々が感じた悲しみは、そこに、<時代の終わり>を見たからだ。
笠さんが演じてきた「古き良い時代」「不器用で、朴訥な」、でも「愛すべき」人々は、
現代ではつい忘れられ、切り捨てられてきたのではない。
以下は、この本の概要である。
ーーーーーー
―中高年の心の危機に
(ちくま新書)立元 幸治 (著)
経済不況による停滞感、そこから生じる社会不安が、中高年の価値観を根底から
揺るがせている。かつての経済的繁栄を支えた中高年は、「時代の転換期」と
「人生の転換期」という二つの節目を同時に迎え、逃れようのない不透明感と
逼塞感を感じつつ、深刻な「心の危機」に直面している。大きな変革の潮流のなかで、
“癒し”“スローライフ”“ヒーリング”などのキーワードが溢れる現在、
真に「豊かな時間」とはなにかを問い直し、充足した「生」を取り戻すための
座標軸を探る。
ー目次ー
第1章
人生を振り返るとき―C.G.ユング 「中年」の発見(ある「失踪」
午前の人生、午後の人生 ほか)
第2章
それぞれの「出家」―吉田兼好 「こころ」の主となる(それぞれの「出家」
「こころ」の主となる ほか)
第3章
「いま、そしてあるがまま」の人生―種田山頭火 ひとりがよろしい、
されどひとりはさみしい(風のごとく、雲のごとく、のごとく…自己を「掘る」ほか)
第4章
人生に必要なもの―H.D.ソロー 自分の「リズム」を聞く
(蟻のごとく…「季節」のなかで ほか)
第5章
もう一つの座標軸―豊かな時間を求めて
(「寅さん」の中の私、「私」の中の寅さん「過剰適応」という病い ほか)
ー解説
ユングは、人生の午後に、人生の午前に劣らぬ価値を認めている。
人生の午前と午後は、その優劣を比較するものではなく、全く違う意味と価値を
持つものだという。
若いころの「発達中心のライフサイクル観」を否定し、もう一つの座標軸の模索を
勧めるユングの考え方を、著者が、ある種の「出家」ととらえるのは自然である。
放浪の俳人、種田山頭火にとって人生とは、「歩く、飲む、句を作る」ことだったと
書いていることは、著者の考える『「こころ」の出家』の一つの イメージとして
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08月17日(火)
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