ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1005, 「この俗物が! 」− 読書日記
この著者の
「自分様と馬の骨―なぜ認められたいか? 」
「ぶざまな人生」
「こういう男になりたい」
「わたしを認めよ!」
 を読んできたので、「やっと続刊がでてきた!」
というのが、本屋で見たときに感じたことである。

 私の人間観にピッタシの人間解剖をする。
馬鹿で可愛い人間を、冷たくも暖かく見つめる視点が好きである。
馬鹿な男を非難していながら実は自分の姿でないかと、ハッと
したことは誰もあるはずである。
面と向かって「お前馬鹿か!」とか、歩いていて誰かに聞こえよがしに
「・・・の馬鹿が!」とか、何度言われたことか。
実際そうだから仕方ない。
 
 言い返せないレベル?に対して黙殺をせざるを得ないことが何回もあった。
その時、心の中で「この馬鹿どもが!」「虚勢犬め!」「子狐め!」とか言っている自分がいた。
その言葉の背後には、この「俗物が!」と言う気持ちが込められていた。
しかし、同時に自分も大して変らないのだろうという諦念と自虐もあった。
この随想日記の中に何度も書いてある。
他人の俗物性を指摘しながら、実は私のことだと同じパターンで書いている。
一種の人間関係の自己癒しをしているのだ。

 俗物はバカよりも奥が深く、おもしろい。
俗物が俗物たるゆえんはどこにあるのか?
世間価値としての地位、権力、金、女、知識(教養)、モノ、学歴、有名性、
言葉、自尊心…これらの「手段価値をあたかも目的価値として血道をあげる類」
の人間を俗物というのだ。誰も持っている愚かな自惚れの側面をいうのだ。
この世に生きているかぎり、すべての人間は俗物たることは免れないのが
悲しい人間の性なのだ。
俗物は全ての人間を映しだす鏡である。

 だいたい「面白く、おかしく、楽しんで生きる」ことは俗物そのもので
あろう。人生で、それを追求することは俗物そのものである。

以下の著者のタイトルを一つの文にしてみると面白い

「自分様と馬の骨―なぜ認められたいか? 」
「ぶざまな人生」
「こういう男になりたい」
「わたしを認めよ!」

ー私を認めてほしいのだ。自分様が馬の骨ではないことの証明の為、
「こういう男になりたい!」という自己証明と追求をしないと、
無様な人生になってしまう。
私はその辺の「この俗物が!」とは違うのだから。

誰もが持っている「俗物」としての赤裸々な言葉になる。

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「この俗物が! 」
  勢古 浩爾 (著)
  出版社: 洋泉社
目次

第1章 みんな俗物だあ!(「あーあ、かっこつけて」
 福田恆存の「俗物論」 ほか)
第2章 男の自尊心、女のプライド(なぜ「俗物」が罵倒語となるのか
 聖なる人々 ほか)
第3章 この俗物が!(世間価値に首までつかる
 いきなりその気か―地位 ほか)
第4章 俗物で悪かったな!(俗物たちの氾濫
 俗物のほうがずっと人間くさいか)
第5章 非俗の人(サムライに俗物はいない人間の形式 ほか)

地位、権力、金、女、知識、モノ、学歴、有名性、言葉、自尊心と
ありとあらゆるものが俗物化する要因であり、それらに関わる俗物の
いやらしさを(あくまで著者の視点で)解説している。
・自宅のベランダでバーベキューをする家族、
・ピーコにファッションチェックを受けたがる自信満々の愚女、
・たかが寿司屋風情やラーメン屋風情のくせに客に食わせてやってるんだ
 とのぼせあがる店主、それに媚びてありがたく食べさせていただくという
 店主以上に輪をかけて情けない客、
・『トリビアの泉』を購入し早速「それ、3ヘエ」とかいっているやつ・・・
 
などなど『なんでもかんでも俗物』じゃあないかというほどである。
俗物根性に対するするどい指摘にはどこかむず痒いような鋭さがある。
そしてその強引さと潔さは笑える。

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 2003年01月04日(土)
631, 文化と文明

文明と文化の言葉の意味を明確にしておきたいと思い辞書でひいてみた。
1、世の中が開け、生活が高度に進むこと

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01月04日(日)
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