ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6823,閑話小題 〜下越周辺、とりわけ新潟駅周辺は ー2
ひどくなり、社会システムがより欧米化されると反応は過敏になってくる。】
▼ 地方では勝組は少ないが、大都会は中国などの勝組の観光客も相まって、
歴然とした格差が現前している。それが面白い!と言えるのは、余裕のある
立場の人たち。そこは一度沈んだら、二度と立上がれない世界。他人事では
ないが・・ 日本は国家として明らかに負組になってきた。 その結果、国内
には、ジメジメした空気が漂い、今まで無かったような殺人事件が多発する。
そして、それを揶揄して楽しむ歪な空気が漂う。そこに欧米のような個人主義で
ないが故に生じる共同幻想で集団で脳をやられる。 江戸末期の
「ええじゃないか!」の馬鹿踊りが形を変えて出てきたのが、
『東京オリンピック』である。 この共同幻想を楽しみながら、
最期の宴を国家とともに終るのもオツナモノか。
・・・・・・
5727,閑話小題 〜2016/11/18 「拍手の意味」
2016年11月19日(土)
* 拍手の意味
〈折々のことば:569 鷲田清一2016年11月5日〉
2週間前の朝日新聞の一面コラムで、「拍手の意味」をテーマにしていた。
拍手といえば、対象への、例えば演奏会の演者に対する感激・感動に対する
感謝などに使う。そこには、一般感情を超えた共感、共振を手を叩くことで、
共同で表現する行為になる。1人で拍手するのは、特殊のケースを除けばない。
多くが感動の対象に与える賞賛と感謝の念。 拍手は、片手を背中に見立て、
良くやったと片手で叩くことを簡略した行為を意味するという。
敬礼の語源は、鎧の顔の部分を、開いて相手に挨拶をしていたのが、
鎧をつけない時でも、形式的にしていたのが、軍隊作法として残った形式。
〜そのミニ・コラムより
≪ 拍手は、明らかに空っぽの抱擁に、空っぽの叩く動作が加わったもの
とみることができる (デズモンド・モリス)
抱いて背中を叩くのは、ヒトのみならずサルにも見られる行動らしい。
それは「すべてはうまくいっている」「おまえはうまくやった」という慰めや
激励や称賛の信号なのだと、動物行動学者は言う。そして競技や演奏会での拍手。
離れているのでじかに抱けないから、代わりに片手に相手の背中の役をさせ、
もう一方の手でそれを叩くのだと。 〜「ふれあい」(石川弘義訳)から。≫
▼ ベランダのインコが、ガラス戸越しに触れあいを求めてピッピと呼びかける。
振返ると同時に、たった一つの芸の「枝回転」をたて続けてする。
多い時で50回の記録がある。今では10回がせいぜい。その時、笑顔でヨシヨシと
声をかけながら、家内共々、拍手で応える。餌が欲しい時、寂しい時、席を立つ
とき、鳴声で呼掛けて、回転芸で自分の意思を伝えようとする。人が拍手を
する時は、ほぼ笑っている。握手も似ている。これは一対一で、親交を示す行為。
それと、手中に何も危害を加えるものは有りませんよというサインでもある。
拍手は、握手の替りに、それぞれが個々にする行為。大統領などが、群集の前の
挨拶で、両手を組んで親愛の情を表現するのも、片手は皆さん、片手は私と
見立てた行為。秘境の絶景に出会った瞬間、心の中で、「万歳!」と叫ぶのは、
感動に感謝が加わった極みの感情。賞賛をされるのは難いが、気軽なミニ・賞賛
なら幾らでも可能。 その、気楽なミニ賞賛が出来るかどうか? とすると、
我家のインコは、なかなかツボを心得ている。
11月19日(火)
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