ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6557,読書日記 〜バーチャル資本主義の行方
義兄は、「これは家族が集まり、幾つか切った一切れを団欒しながら食べるから
美味しいので、一人で列車内で食べるものでないですよ!」と教えたところ、
その人も納得していたという。≫
▼ これを書いていて、鱒寿司を兄姉と分かちあって食べた当時の情景が、
 鮮明に思い出てくるから不思議。 ウィキペデアによると、
【鱒寿司は、富山県の郷土料理。駅弁としても知られ、鱒(サクラマス)を
用いて発酵させずに酢で味付けした押し寿司の一種。】とある。今では、
スーパーなどで催事で時々、見かけるが買う気になれない。小学校の5年から
高校を卒業するまで、長岡駅裏に8年住んでいた。そのため、そこの生活が、
いやに懐かしい。母親が極度の「うつ病」になり、心筋梗塞を誘発し、あわや
死にそうになったり、近隣の遊び友達と遊んだり、十姉妹や文鳥、カナリヤを
飼ったり・・ あの受験勉強さえなければ、良いことずくめ。 
読書を薦めてくれる人はいなかった。
・・・・・・
3623, 日本人発明の食べ物
2011年02月25日(金)
 カレーはインドのものだが、ライスの上に乗せてカレーライスたるものを
作ったのが日本人である。日本人は西欧の香りのするカレーを、ハイカラ、肉食、
手軽というカレーライスに仕上げた。明治の頃に明治政府が肉食を勧めるために
天皇が肉を食べてみせた。そして仮名垣魯文がカレーレシピを作ったのが始まり。
カレーといえば新宿の中村屋の純印度式カリーは有名で、香りが何ともいえない。
これは、東京帝大前のパン屋のハイカラ文化の経由。そして、極めつけが、
インスタントカレールー。 これで誰もが手軽に夕飯にカレーをつくれる
ようになった。これは、同じ頃に「すき焼き」が日本特有のものとして大衆に
浸透していった。 更に、『きむらや』は明治七年に銀座に進出し、やがてパンに
アンを入れたものを売り出したのが始まり。これもカレー、すき焼きと共に
日本文化の一つになっている。これは饅頭の皮をパンに思いついたのだろう。
 そして戦後になって、『チキンラーメン』と『カップラーメン』である。
日本というより世界屈指の発明である。これは日清食品の、創業者の安藤百福が
つくりあげたもので、今や年間一千億食も食べられている。世界の一人当たり、
15食以上も食べられていることになる。 宇宙食として、災害や紛争の救援食
として、世界中の津々浦々まで浸透している。最近では、回転寿司である。
酢飯と魚が丁度、健康ブームとあいまって、爆発的に進出をしている。
古来からあるもの食文化を、外来のものとアレンジをして新たに日本人好みに
変えてしまったもの。最近は米粉を材料としたパンや麺なるものが出てきている。
 ところで、話しは違うが、日本の夜の世界のクラブ。着飾った女性が客に
サービス(踊ったり、歌ったり、話し相手になったり)する業種は日本だけ。
外国は、何?の前段階の品定めならあるが、ただ、接客や、雰囲気を楽しむのは
日本だけ。これは昔からある芸者遊びを現代版にしてものだが、何か、
上記の日本特有の食べ物と、進化過程が似ている。

02月26日(火)
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