ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5652,閑話小題 〜シネマ、『後妻業の女』が面白い! 〜②
・私たちの周囲にあるどの物体も、分子と原子から成立しており、その原子を
構成する素粒子の一部は不規則に運動している。これらはすべてエネルギーに
変換可能なのだが(あらゆる物体は力に満ちた空間である)、こうしたことは
常識的なものの見方とは全く相容れない。
・私たちのまわりの空気は、テレビやラジオの微量の電波など、情報を運ぷ
見えない波動に溢れており、そのほかにも数々の分析可能の属性を
有している、という事実にしても同様である。
・私たちは巨大な球体の表面で暮らしており、その球が表面上では時速千六百
キロで自転していると同時に、空間を驀進しているといった、ごく基本的な
事柄でさえ、(私としてはどうしても言っておきたいのだが、猛烈に)直観に
反しており、真理であるとわかっていても見たり触れたりすることはできない。
この事実はあまりに常識はずれであるため、これを最初に発表した人々は、
いまからほんの数百年前のことだというのに、ふざけた空想家か危険な嘘つき
として糾弾され、そんな途方もない嘘を人々が信じたとしたら、あらゆる真の
宗教と(それゆえ)真の道徳にとって害になると非難されたほどである。
このように、常識は私たちの置かれている状況を適切に解き明かすどころか
忠実に説明してくれそうもないということを、私たちは事実として知っている。
さらに、特殊および一般相対性理論によって明らかになったもろもろのことや、
量子物理学によって明らかになったもろもろのことが示しているように、
私たちがじかに触れている物理的環境は、近年まで人間には想像もつかな
かったほど奇怪であり、あまりに常識とかけ離れているため、どれだけ聡明な
研究者だろうと、こうした問題を理解するのは至難のわざ。このような状況の
なかで常識的な世界観の擁護を試みても、やる前から結果はわかっている。
この試みはきわめて想像力を欠いたアナクロニズムと蒙昧主義にほかならない。
それは最も粗悪な時代錯誤なのである。 なるべく失礼にならないよう控えめ
に述べるなら、常識的な世界観は思慮の浅い人々の形而上学にはなりうるだろう。
ラッセルは、それを「野蛮人の形而上学」と呼んだ。ラッセルの言葉で私が
何よりも頻繁に引用してきたものは、つぎに挙げる『哲学の諸問題』
(『哲学入門』社会思想社)の一節の最後の文である。
「・・そうなると常識はも、もう役に立たなくなり、私たちは物理的対象の
本性について、五里霧中におちいりざるをえない。そこで物理的対象を正当な
理由で心的なものとみなせるとしたら、ただ奇妙に思われるというだけでそう
いう説を否定することは正しいはずがない。物理的対象に関する真理は、
奇妙であらざるをえない」 】
▼ 歳を重ねると、軽くなっていくか、重くなっていくかである。
私の知る限り、教養を積んできた人ほど軽くなっていく。生きてきた月日の
出来事が所詮は粟粒、チリの様に消え去っていく事象でしかなかったことを
知っているからである。
09月05日(月)
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