ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[394152hit]
■4192, 呪いの時代 ー9
ー「孔子の教え」はあくまで「厳父の思想」であり、対する「老子の思想」は「慈母の思想」とみることができよう。
老子と目される人物が生きたのはー孔子もそうだがー春秋、それにつづく戦国時代の乱世であった。誰もが真剣に生き方、というより
生き抜くための知恵を求めていた。それに、応えて、孔子と老子に代表される儒教と道教が生まれたのである。対立というより、
対照というべきかもしれない。いずれが是で、いずれが非か、などという問いは愚かである。我われは、ここに二通りの生き方を見、
学べばよいのだ。考えてみれば、この世には「人間なるものは存在しない。生きつづけてきたのは、男と女である」。
人間とは、女と男の総合した抽象概念である。だとすれば、その「人間」には、当然二通りの生き方が考えられよう。
すなわち、男性原理による哲学と、女性原理につらぬかれた思想である。中国は孔子、老子という祖によって、二元的に、つまり、
全人的に生きてきたといってもよい。私たちが学ぶべきことは、そのような二つの知恵なのだろうか。 中国の作家、林語同は、
こう書いている。 ー功なれば儒教ー孔子ーの徒になり、失意の時は道教ー老子の徒に奉じるようになる。
道教の自然主義は、中国人の傷ついた魂を和らげる鎮痛剤なのである。 得意と失意で織りなされた人生、それを歩む人間の生き方ー
それは何といっても「父」と「母」に従うことなのではないだろうか。
▼ 以上だが、道教と儒教を対比させ中国そのものを、いや人間の生き方の知恵を提示している。学生時代、「諸子百家」を読んだ時に、
孔子の教えは堅苦しく思い、むしろ老荘の思想に共鳴をした。老子の言わんとする要諦は ー小さな私心を捨て去れということだ。
人間存在なんぞは宇宙から見れば砂、いやチリのような存在。それを真に理解すれば、無為自然、母なる自然の道に従うのが
一番の近道ということが解ってくる。人間が生きていくからには、常に挫折と失意が波のように押し寄せては返していくものだ。
その時、宇宙的視点でその波を見つめる視線が道教の真髄である。
ー老子の思想の幾つかを書いてみるとー
・道を体得した人は、何事にもとらわれず、言葉を使わず教えを行なう。
・もっとも理想的な生き方は、水のようなものである。
水は、万物に恵みを与え、相手と争そわず、衆人の嫌がる所へと流れていく。だから道に近いのである。
・実在が意味をなすのは、無が作用しているからである。
・道を体得した者は、行動した跡をのこさない。
・・・・・・・・
2003年09月17日(水)
896, 言いわけ読本 ー読書日記
塩田丸男 中央図書館ー2003・09・14日
(以下、字数の関係でカットー2007年09月17日)
・・・・・・・・
522,勉強法ーノートのとりかた--3 -
2002年09月17日(火)
(字数制限のためカット 2010年9月17日)
・・・・・・・・・・・・・・・・
147 機動捜査隊 2001/09/17
7〜8年まえになるが。当ホテルで年平均二〜三人の犯罪者を逮捕している。その協力の功績で、機動捜査隊が表彰状をやるから
私に来いとのこと。「何いってるのか!来るのはお前らの方だろう」と思ったが、「面白そう!」という誘惑に負け行くことにした。
(字数制限のためカット 2012年9月17日)
09月17日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る