ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3965, 首都圏崩壊の可能性、7割
この前まで言われていた鳩山由紀夫だって、最後は見っともない醜態を曝け出してしまったではないか? でもこれからが本人の真の力が
湧き出てくるかどうか試されるのだろう! 凡人が「ぶざまな人生」と初めから割り切れるかというとなかなか難しい。
よほど哲学的に裏づけか信念が必要だ。それがその本の主旨。「ぶざま」という言葉を使う人は「教養のない中年のオバサン」だろうが。
心の奥に誰もが「ぶざまな人生だけはおくりたくない!」あるいは「みっともない最後だけは人に見せたくない」というのがある。
分の人生を顧みて、ぶざまとも格好よかったともってない。それではやりたいこと出来たか?というと、こんなものかという感がする。
ただ専攻が人間関係学であった為、人生のトータルデザインを考えて生きてきた。自分の真にやりたい事を一生通して追求するのは自明。
「ぶざま」という言葉自体が「世間様」という虚構の言葉である。それでは「ぶざまな人生とは、どういう人生だろうか?」
その言葉にやはりこだわって何も出来ないで終わってしまった人生のことだ。それなら「初めから人生はぶざまなものと
割り切ってしまえば、開き直った生き方が出来る」。「悟りということは、如何なる場合では平気で死ぬ事かと思っていた事は
間違いで、如何なる時でも平気で生きていることであった」正岡子規の病床六尺の言葉である。これは「ぶざまな人生を平気で
生きることが悟りである」と言える! 完全な人生を求めるな!そんなものは元々ある訳がない。しかし知らないうちに社会的動物
として完全を人生に求めてしまう。完全でなく充分な人生しか存在しない、それが人生というものだと割り切ってしまえばよい。
充分の人生を初めから求めるべきだ。それを脇で見たらぶざまに見えることもあろうが。親戚・姉兄や知人を見ていて
カッコウいい人生の人など殆どいない。遠くから見ていて例外の人がいたら、ただそう見えるだけだ。
  ー 書いていたら気分が楽になった!!
 ・・・・・・
 2002年02月02日(土)
319、我が内なる無能性ー具体的内容
 我が内なる無能性を具体的話に書いてみる。
 周辺にいる特にいる「だめな奴ーあれ」ーなんか虐め!
ーこの特性をあげてみると
1、一回も脱皮したことがない。一生をただ何も考えず、そのまま流れている。
2、「他人の目」が全ての価値観ーしたがって[自分の本心]が何かわからない。価値という言葉も全く理解できない。
3、その前提として、本を読んだことがない。ーこういう人が本トウにいる。
  ー思考能力ゼロ! それだけならいいが、毒ガスを撒き散らす。
   (字数の関係でカット2009・2・02)
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2月2日 日曜日 1969年 
13時まで就寝。 それから夕方まで勉強をする。夜、市川さんが部屋に来る。有神論、無神論を議論する。
その系統は、彼の得意分野でコテンパンにやられる。 中途半端な知識が露呈してしまった。
新約をギリギリのところで読んだ経験があるが、科学的・哲学的の系統にとらえた本は皆無。
これからの人生では、避けて通ることのできない心の奥底の問題である。
その系統の本を読んで、からかって仕掛けただけだろう。勤めると、こういう小手先が効くのだ。
翌朝の3時過ぎまで勉強、ラーメンを食べて就寝。まだ集中が足りない。もっと身を入れなくては。

02月02日(木)
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