ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3958, 他人を責める「新型うつ」について ー4
662, 「他人の血で自分の傷口を洗うな!」
この言葉を初めて聞いた時、その意味をしばし考えてしまった。相手を傷つけてしまう事は「何らかの意味で自分の問題を相手に
投影してしまった」という事でないか。いじめっ子は家庭の不和の子が大部分だ。そのトバッチリを学校で弱い相手を捜して攻撃する
卑劣の行為だ。これが「他人の血で自分の傷口を洗おうとする行為」の典型だ。あと戦前の日本軍の古参兵の新兵虐めもそうだった。
「新兵の時の虐めをやりかえす」という行為で傷口を洗っている愚劣の行為だ。必要悪の部分もあるが。傷ついて膿を心に持っている
精神症(精神病)の人も、その苦しさのあまり血の匂い嗅ぎつける。「自分の人生失敗だった」という敗残者もこういう傾向が強い。
精神に深い傷を持っている。といって正常の人でも、誰でもその傾向はある。その軽い症状が「他人の噂しか話す内容を持たない人種」だ。
教養を積んでこなかったオバちゃんだ。男ー子狐もいるが。これには大きな落とし穴がある。他人の血で傷を洗うという事は、
その傷を目先癒すが逆にどんどん傷を深くし、さらに黴菌が入ってくる。それこそ「無知の涙」である。他人の事といっていられない
自分の問題だ。誰もが心の傷を持って知らないうちに他人を傷つけている。そして傷つけてきた??・・!
それに気がついているかどうかのだが。「恨んだ相手は高いびき」その相手になっているのではなかろうか?
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2002年01月26日(土)
312,書くということ
書くということの意味とは 毎日随想日記を書き続けて、いろいろの事にきずく。書くということは、話すということより、
ずっと多くの事を、意味を感じるようになってきている。この20年間社内報に隔月に文章を書き続けて、その継続も含めて
意味を感じるようになりました。その時々のメルクマールだ。あの時アア考えていたのだ、こういう本を読んで感銘していたのだと。
それが全くやり続けてなかったら何が残っていたのだろうか。書けば消えずにそのまま残っている。
話すという表現手段と、文章化の手段と一見小さな相違が、継続という時間の中で無限に近い相違を引き起こす。
つくづく 書き残していてよかったと実感している。時間が経つとその自己表現が、自己認識になってくる。
したがって、それに書き加えていけば、自己認識が深まる。そして自己吟味できるようになる。実をいうと、
そのためにホームページにさらし、自己表現のレベルの維持と、自己顕示のそれを原動力にして書き続けているのです。
地方にいると例の「子狐の群れ」の中で自分を見失いがちになります。見失わない為に、これは最低限必要なシャワーでもある。
ー自己詭弁,正当化もいいとこ?まずは書き出す、そしてそれに筋を通す、そして客観化する、そして深めていく行為である。
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1月26日 日曜日 1969年
12時起床。 市川さんと食事に行く。この人、理系がお医者さんのお守りの営業をさせられているためか、理詰めで社会を理解しようと
している。人間の、いや社会の、いや自身の嫌らしさを知らない。その後読書をする。夜、レポートの作成に入る。
次にマーケッテングのレポートを作成。夜半の3時に就寝。今は卒業をする為の集中が必要だ。
01月26日(木)
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