ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3938, 閑話小題
ニューヨークの病院での瀕死の患者の扱いに彼女は愕然とした。〈彼らは避けられ、粗末にされ、だれも彼らに正直に接していなかった〉
彼女は他の同僚達とは違い、いつも末期の患者と供にいて、彼らの心の声を聴いていた。そして彼女は「自らの経験を語る瀕死の
患者についての講義」を始めた。1969年の最初の本「死ぬ瞬間」はキュブラー・ロス博士を世界的に有名にした。
   (字数制限のためカット 2012年1月6日)
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2004年01月06日(火)
 1007, 激突!エコノミスト-今年の景気予測
(以下、字数制限のためカット 2010年1月6日)
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2003年01月06日(月)
633、「不幸論」ー中島義道
 図書館で借りてきたユング派の哲学者の中島義道の不幸論が面白い。
幸福論の自己欺瞞を鋭く指摘したあとに、人間の最終結末の死をとらえて不幸論を書いている。
しかしあくまでも幸福論の批判であって、不幸論そのものを見すえて論じてはなかった。
 不幸を座視にして幸福論を批判するのは、逆に幸福論をより鮮明に浮かび上がらせて理解するのに良い。
幸福の構造は
1、自分の特定の欲望がかなえられていること  2、その欲望が自分の一般的信念にかなっていること
3、その欲望が世間から承認されていること   4、その欲望の実現に関して、他人を不幸に陥れてないこと 
 特に1〜3までの実現に4が生じてしまう。
 幸福論というと、エピクロスの快楽主義が思い浮ぶ。
「人生において、面白おかしくしたい事をする事が全てに優先されるべき」
バランスが問題になるだろうが。最近の幸福論としてヒルティやアランである。
・ヒルティの幸福論はキリスト教の理想的なカタチ
・アランは内省ー解釈の仕方ー気持ちの持ちよう集約するとこんなものだろう。
私の幸福論はやりたい事を見つけどれだけやったかという達成主義である。それもあくまで自己欺瞞でしかないのだろう。
愛・知・力という3点に自分の目標値は決め、達成のプロセスが=幸福という単純なものだ。しかし死を宣告された時に
その達成感など何の支えになるかと考えると、その前に粟粒でしかない。この不幸論の一番気にいったところを抜粋した。
ーだいたい、幸福論を書こうという人の動機が気に入らない。
 彼(女)は、
・まずだれでも幸福になるという基本態度を押し出す。
(字数制限のためカット 2012年1月6日)
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2002年01月06日(日)
 292,システム・エンジェニアーSE
  (字数制限のためカット 2011年1月6日)
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ある時間の断片
 1月6日 1969年
10時起床。 食後、11時から16時までジャスコに出す論文の下書きを完成。それにしても集中力が足りない。
構想力や文章力のなさに自分でも情けない。絶対量の本を読んでなかったツケがこういうカタチになって出ている。
独りになる時間が少なかったのだろう。その為に、独りになると逆に縮んでしまうのだ。焦りと、動揺がここにきて出てきた。
リラックスをして自分をもっとしっかり見つめないとダメだ。このように家に休暇で長く居れるのも、これが最後。
こうしてみると、やはり学生時代は人生で一番良い時だったのだ。

01月06日(金)
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