ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3898, つれづれに  ー景気の話ー
 「人間と言うものは、どんなに悲しみに満ちていても、もし人が彼をなにか気を紛らわすことへの引き込みに
 成功してくれさえすれば、そのあいだだけ幸福になれるものである」また102節の「人生の長さについて」もよい。
 「人生は快楽や楽しみごとや不安や緊張や困難で、いっぱいに満たされているのが通例である。
 だから時間は素早く過ぎていく。しかしそういう物を何かの偶然で突如欠いてしまうと、時間はとたんにだらだら
 と怠惰に流れ、退屈という新しい苦痛が発生するのである。 時間はそのさなかではむやみに長く感じられる。(′O`)hima〜
 「今過ごしつつある時間を長く感じることを人間は一途に嫌悪し、これを避けようとするのだ。
  できるだけ時間を短く過ごすことが生の確証であり、生きがいの充足をしていると思っている。」  
  著者は「あらゆる人間の行動はすべてその人の暇つぶしである」と述べている。
  この人間の行動というものの中には仕事や家事、学術的な研究まで含まれる。暇であるという状態は、その人に
  自己の生の無意味感を与える。それを感じたくないがために、我々は何かを行っていなくては生きていけないのである。
  何かこの辺を読むと人生とは何ぞやとか真面目に考えるのが馬鹿馬鹿しくなる。                        
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 2004年11月27日(土)
1334, 「おカネの発想法」ー読書日記
父が末期ガンで死期を悟った時、私に意味深のことを言ったことを思い出す。
「紙に一千万と書いて、この一千万と通帳の一千万と自分にとって何が違うだろうか。
 今さら一千万の現金を手にとって使おうとしても何に使えない」 と。死を目前にした父にとって、
いくら現金があろうが、それが何にもならない。お金も、元気なうちに使わなくては価値がない。
「使えるから価値があるので、使えないのは価値がないのと同じである!」と言いたかったのだろう。
好きな事業をしてきて、地方としては戦前・戦後と二つの時代に渡って成功をしてきた人である。
そして、道楽も幾つか持ち人の数倍も人生を楽しんでいた。「全く同じ人生を、いま一度生まれてきた繰り返したい!」が、
父の最期の口ぐせになっていた。父は事業の恐ろしさを知り尽くしていたので、最悪のヘッジとして不動産や、証券や、
古道具や、現金にして溜め込んでいた。 しかし死を目前にして、何だったのか疑問を持ってしまったようだ。
反面、事業をしていると、資金は命の次に大事であるとを思い知る。会社の血液である。
「ある日突然、思いもよらない時代の激変が起こって裸になってしまう!」ことが、経営の宿命である。 
そのため、経営はそれに備えて置かなくてはならない。 しかし、あるところまで生きてきたら、
生き方そのものを転換をしなくてはならないことを、その時に父から教えてもらった。
ーー
ーーこの本の印象に残ったところを抜粋してみる。
ーあなたは、おカネである金貨を大きな袋に詰め込んで船に乗り込んでいます。
(カット2011年11月27日)
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2003年11月27日(木)
 967, PDPテレビをいれ一年、の感想
 一年前の随想日記を振り返って読んでみて、PDPテレビをいれて一年経ったことに気づいた。
(字数制限のためカット 10年11月27日)

11月27日(日)
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